世間で言われている運命とは、人生の出来事が前もって定まっていることと解されています。

もし物事がすべて前もって定まっているなら、人間は意志も何もない機械に過ぎないことになります。

もし、人間の行為が運命の力で縛られているのなら、人間の知性など何の用があるでしょう。

また、そこには人間の責任は存在しないことになります。

従って、善もなければ悪もありません。

人間が運命に縛られているなら、自己改善など思いもよらないでしょう。

自ら改善したところで、人生が善くなることはないからです。

一方で、運命というものが全くないのか言えば、そうではありません。

人間は地上に置かれている立場、そこで演じる役割など、霊が肉体に宿る以前に試練のためや償いや使命のために自ら人生を選択した結果として、運命はあります。

この選択によって、自分が選んだ人生の転変に、どうしても従わなければなりません。

しかし、運命はそこまでです。

後は、その運命に従うかどうかは自由です。

人生のささやかな出来事は、私たちがどんな行為をするか、また、私たちが周囲の霊魂のささやきにどんな反応をするかによって、創り出されていきます。

そして、私たちの行為とは関係なく起こる出来事には、運命によるものがあります。

私たちが生まれてくる前に選択した人生に基づくものです。

しかし、これらの出来事のもたらす結果には、運命は存在しません。

それは、私たちの思慮によって変更できるものだからです。

人が有無を言わせぬ絶対の法の下に置かれるのは、死についてだけです。

この人生に終わりがあることは定められたことであり、避けなれないことです。

(参考文献;「霊の書」)