肉食についての霊界の見解
今から3,000年以上前に地上を去った霊界からの使者シルバーバーチは、交霊会の参加者から人間は自分の生命を維持するために動物を殺して食べざるを得ないことについて意見を求められ、次のように答えています。
自分たちで勝手に動物を殺しておいて、神がそうせざるを得なくしているかにお考えになってはいけません。
どちらにするかは、あなた方が決めることです。
動物を殺さないと生きていけないというものではありません。
が、いずれにせよ、答えは簡単です。
そうした問題をどう処理していくかによって人間の進化が決まるということです。
自分たちのやっていることに疑問を感じるようになれば、その時、あなたの良心が次の答えを出します。
人間は自分のすることに責任を取ることになっており、その行為の一つ一つが、その人の霊性に影響を及ぼします。
その際にかならず考慮されるのが動機です。
動機にやましいところがなく、どうしても殺さざるを得なかったという場合は、その行為はあなたの成長にプラスに働きます。
霊的摂理は原因と結果の関係、タネ蒔きと刈り入れの原理の上に成り立っており、これは絶対にごまかせません。
あなたのすること、考えること、口にすることの一つ一つがそれ相応の結果を自動的に生み出します。
そこにごまかしは利きません。
悪いと知りつつ間違ったことをした場合は、その結果に対して責任を取らされます。
その結果としての苦しみは自分で背負わねばなりません。
良い行いをする場合でも、それが見栄から出ているのであれば動機がお粗末でいけませんが、魂の自然の発露として善行を施した場合は、そういう行いをしたという事実そのものが、あなたを霊的に向上させます。
それが摂理というものなのです。
私が常々申し上げているのは、”殺害”の観念がつきまとう食料品はなるべくなら摂取しないほうが良いということです。
殺すということは絶対にいけないことです。
ただし、その動機を考慮しなければならない場合があることは認めます。
霊的向上を望む者は、いかなる犠牲を払っても大自然の摂理と調和して生きる覚悟ができていなければなりません。
霊が発揮すべき側面はいつの時代も同じです。
愛と慈悲と寛容と同情と協調です。
こうした原理にしたがって考えれば、食すべきものを食し、飲むべきものを飲み、正しい生き方に導かれます。
(引用;シルバーバーチの霊訓(8)より)