私たちの存在意義

私たちの存在意義について、シルバーバーチは次のようなことを述べています。

どの民族にも他の民族にない特有の要素があって全体のために寄与しています。

各民族が全体にとって最善のものを持ち寄るのです。

今までのところ地上人類は、黄色人種は黄色人種なりに、白色人種は白色人種なりに他の人種にない存在価値があることを理解していません。

私たち一人ひとりが神の構成分子であることを忘れてはなりません。

一人一人が神の仕事、神の力、神の愛、神の智識に寄与することができるということです。

自分より力の劣る人に手を貸すという、それだけの行為が、自分を通じて神が顕現しようとする行為であるということです。

如何(いか)なる方法でもいいのです。

相手が誰であってもいいのです。

どこであってもいいのです。

倒れた人に手を貸して起き上がらせ、衰弱(すいじゃく)した人に力を与え、暗闇に迷う人に光明をもたらし、飢えに苦しむ人に食べものを与え、寝る場所とて見出せない人に安眠の場を提供してあげるという、その行為が大切です。

そうした行為の一つひとつが神の仕事なのです。

人間がそう努力する時、そこにはかならず霊界から支え、鼓舞し、援助しようとする力が加わり、予期した以上の成果が得られます。

神が働きかけるのは、教会や大聖堂や寺院の中だけではありません。

霊力に反応する人であれば、いつでもどこでも神の道具となります。

神の力によって魂を鼓舞された人、高き天上界からの熱誠に感動して崇高なる憧憬(どうけい)に燃える人はみな神の道具です。

地上世界はいまだに神の力を特殊なものに限定し、聖霊の働きかける通路はかくかくしかじかの人でなければならないと勝手に決めてかかっていますが、神はインスピレーションに感応する人、、神の御心に適(かな)った生き方をしている人、神の法則に従順な人であれば、どこの誰であろうと道具として使用します。

その力はいっさいの地上的差別を無視します。

地位や肩書き、社会的階層の上下、肌の色、人種、国家、階級の別は問いません。

場所がどこであろうと、誰であろうと、その力に反応する人に働きかけ、真理の源からの霊力を注ぎ、心を啓発し、魂を鼓舞(こぶ)し、宇宙という名の神の大農園の働き手として雇います。

この教訓を会得され、神のために、人生の暗闇と重圧と嵐の中で難渋(なんじゅう)している神の子を救う決意を固められ、彼らの重荷を軽くしてあげ、新たな希望と知識と光と力をもたらしてあげていただきたいのです。

それによって、彼らの身体に新たなエネルギーが湧き、精神は勇気に満ち、霊は新たな意気に燃えて、神の恩恵を噛(か)みしめることになるでしょう。

同時に私たちも人のために自分を役立てることの喜び、自分のためには何も求めず、ひたすら他人の心を高揚してあげる仕事の真の喜びを味わうことになるでしょう。