祈りの本来のあり方
今から3,000年以上前に地上を去った高級霊シルバーバーチが、イギリスの霊媒を通して語る交霊会において、祈りの本来のあり方について、次のように述べています。
私は、祈りとは魂の憧憬と内省のための手段、つまり抑え難い気持ちを外部へ向けて集中すると同時に、内部へ向けて探照の光を当てる行為であると考えております。
本当の祈りは、利己的な動機から発した要望を嘆願することではありません。
われわれの心の中に抱く思念は、神は先刻ご承知なのです。
要望は口に出される前にすでに知れているのです。
なのに、なぜ祈るのか。
それは、祈りとはわれわれのまわりに存在するより高いエネルギーに波長を合わせる手段だからです。
その行為によってほんの少しの間でも活動を休止して、精神と霊とを普段より受容性に富んだ状態に置くことになるのです。
わずかな時間でも心を静かにしていると、その間により高い波長を受け入れることができ、かくしてわれわれに本当に必要なものが授けられる通路を用意したことになります。
利己的な祈りは、時間と言葉と精神的エネルギーの無駄遣いをしているに過ぎません。
それらは何の効力もないからです。
何の結果も生み出しません。
が、自分をよりいっそう役立てたいという真摯な願いから、改めるべき自己の欠点、克服すべき弱点、超えるべき限界を見つめるための祈りであれば、その時の高められた波長を通して力と励ましを授かり、祈りが本来の効用を発揮したことになります。
(引用;シルバーバーチの霊訓(7)より)