宗教界に対する霊界の見解(1)
いま霊の力が一番見られなくなっている場所は、皮肉にも、本来そこにこそ存在しなければならないはずの宗教界です。
最高の位階に到達した者ですら、宗教の本来の起源であり基盤であるべき霊力に背を向け、われわれには不可解きわまる理由から、生きた霊的真理よりもただの形骸の方を後生大事にしています。
この地上世界の危急存亡の時代に、真理の守衛であるべき者たちが霊の威信をもって語ることが出来ないというのは悲しむべきことです。
それは、霊力というものが(イエスの時代だけでなく)今の時代にも顕現できるという事実にまったく気づかないからです。
彼らは霊的真理と完全に疎遠になっているばかりでなく、愚かしい信仰がこびりついているために、それが頑固な壁となって霊的な真理、霊的な叡智、霊的な力を受け付けなくなっているのです。
そうした偏狭で不毛の儀式とドグマと信条で固まった世界に霊力の入る余地があるわけがありません。
現代の教会には霊の力は一かけらもありません。
あるのは、またしても白塗りの墓(口に説くことと腹の中とが違う偽善的宗教家)、干からびた骨(真理の豊かさを身につけていない、精神のやせこけた宗教家)、豪華な建造物です。
見た目には華麗でも霊の照明がないために死のごとく冷ややかで不毛で荒涼としております。
さらにいけないのは、そうした本来の宗教とは無縁の、干からびた神学的教義の収納所となってしまった教会内に霊が働きかけようとしても、それをまったく受け付けようとしなくなっていることです。
いささか辛辣(しんらつ)過ぎたかもしれませんが、しかし何が悲しいといって、本来は先頭に立って指導すべき立場にある者が、こうした大切な霊的真理のこととなると、しんがりに回っているということほど情けない話はありません。
みんな善人ばかりです。
罪なき人生を送ろうと心がけている真面目な人たちです。
が、宗教のすべてが基盤とすべき霊的なものに完全に無感覚になっているのです。
霊性のないところに宗教はありません。
霊の無いところに生命は存在しないのです。
もしも教会がそれ本来の目的を果たしていれば、言いかえれば、もしも神学的教義・儀式・慣習という脇道へそれることがなかったならば、こうして私のような者がわざわざ戻ってきて、神の計画の中での地球の本来の位置を維持する上で不可欠の霊的連絡関係を回復するための努力をする必要もなかったでしょう。
(引用:シルバーバーチの霊訓(9)より)
これは、今から3,000年以上前に地上を去った高級霊シルバーバーチが、イギリスの交霊会においてキリスト教に対して述べた見解ですが、果たして日本の宗教に対してどのような見解を持っているのか聞いてみたいものです。