約3,000年前に地上を去った霊界からの使者シルバーバーチは、原因と結果の法則(因果律)について、次のように述べています。

一人一人の人間が、自分の行為に自分で責任を取ります。

それが自然の摂理なのです。

いかに愛する人とはいえ、その人に代わってあなたが責任を取るわけにはまいりません。

その人の行為の結果をあなたが背負うことはできません。

それを因果律というのです。

過ちを犯したら、過ちを犯した当人がその償いをする。

霊的法則がそうなっているのです。

地上世界には不正、不公平、不平等がよく見られます。

不完全な世界である以上、それはやむを得ないことです。

しかし霊的法則は完全です。

絶対に片手落ちということがありません。

一つの原因があれば、数学的正確さをもってそれ相応の結果が生じます。

原因と結果を切り離すことはできません。

結果は原因が生み出すものであり、その結果がまた原因となって次の結果を生み出していきます。

その関係が終わりもなく続くのです。

もしもその因果関係が人為的に変えられ、利己主義者が博愛主義者と同じように霊的に成長することが可能であるとしたら、それは神の公正を根底から愚弄することになります。

自分が蒔いたタネは自分で刈り取る。

そうあらねばならないのです。

あなたはあなた自身の行為に責任を取るのです。

その行為の結果を自分が引き受けるのです。

これからもあなたは過ちを犯します。

そしてそれに対する償いをすることになります。

そうした営みの中で叡智を学んでいくべきなのです。

過ちを犯すために地上へ来たようなものです。

もしも絶対に過ちを犯さない完全な人間だったら、今この地上にいらっしゃらないはずです。

過ちも失敗もあなたが不完全であることから生じます。

しかし、転んでも起き上がることができます。

取り返しのつかない過ちというものはありません。

新しい希望と新しい可能性を秘めた新しい1日、新しい夜明けが必ず訪れます。

うちの宗教の教えを信じれば罪も赦されるかのように説いている宗教がいくつかあるようですが、そうしうことはあり得ません。

罪をあがなうのはその罪を犯した当人のみです。

”神聖”とされる文句や言葉をいくら繰り返しとなえても、原因から生じる結果を赦免したり消去したりすることはできません。

ですから、いくら愛おしい人であっても、その人の行為にあなたが責任を取るわけにはまいりません。

その人みずから学び、学ぶことによって成長し進化していくのです。

それが生命の法則なのです。

(引用:シルバーバーチの霊訓(9)より)