スピリチュアリズム

スピリチュアリズムというと、以前は一部の限られた人たちが愛好する何やら怪しげな心霊現象というような認識がありましたが、『シルバーバーチの霊訓』という本を読み、その認識を改めました。

では、スピリチュアリズムとは何なのか。

一言で言うと、人は肉体と霊魂からなり、肉体が消滅しても霊魂は存在するという考えのことです。

シルバーバーチは、このことを地上に伝えるために霊界で組織された霊団の役割を以下のように語っています。

私たち霊団の仕事の一つは、地上へ霊的真理をもたらすことです。これは大変な使命です。

霊界から見る地上は無知の程度がひどすぎます。その無知が生み出す悪弊は見るに耐えかねるものがあります。

それが地上の悲劇に反映しておりますが、実はそれがひいては霊界の悲劇にも反映しているのです。地上の宗教家は、死の関門をくぐった信者は魔法のように突如として言葉では尽くせないほどの喜悦に満ちた輝ける存在となって、一切の悩みと心配と不安から解放されるかに説いていますが、それは間違いです。真相とは程遠い話です。

死んで霊界へ来た人は、初期の段階においては、地上にいた時と少しも変わりません。肉体を棄てた、ただ、それだけのことです。

個性は少しも変わりません。性格は全く一緒です。習性も特性も性癖も個性も地上のままです。利己的な人は相変わらず利己的です。貪欲な人は相変わらず貪欲です。無知な人は相変わらず無知のままです。悩みを抱いだいていた人は、相変わらず悩んでいます。少なくても霊的覚醒が起きるまではそうです。

こうしたことがあまりに多すぎることから、霊的実在についてある程度の知識を地上に普及させるべしとの決断が下されたのです。そこで私のような者が永年にわたって霊的生命についての真理を説く仕事にたずさわってきたわけです。

霊的というと、これまではどこか神秘的な受け取られ方をされてきましたが、そういう曖昧なものでなしに、実在としての霊の真相を説くということです。

そのためには何世紀にもわたって受け継がれてきた誤解、無知、偏見、虚偽、欺瞞、迷信、要するに人間を暗闇の中に閉じ込めてきた勢力のすべてと闘わなければなりませんでした。

私たちはそうした囚われの状態に置かれ続けている人類に霊的解放をもたらすという目的をもって一大軍団を組織しました。

お伝えする真理はいたって単純なものなのですが、それにはまず証拠になるものをお見せすることから始めなければなりません。

すなわち偏見を棄てて真摯な目的、真実を知ろうとする欲求をもって臨む者なら誰にでも得心がいくものであることを明らかにしなければなりません。

あなた方の愛する人々はそちら側からそのチャンスを与えてくれさえすれば、然るべき通路(霊媒)を用意してくれさえすれば、死後もなお生き続けていることを証明してくれます。

これは空想の産物ではありません。何千回も何万回も繰り返し証明されてきている事実を有りのままに述べているまでです。もはや議論や論争の枠を超えた問題です。もっとも、見ようとしない盲目者、事実を目の前にしてもなお認めることができなくなってしまった、歪んだ心の持ち主は論外ですが。

以上が第一の目的です。

”事実ならばその証拠を見せていただこう。われわれはもはや信じるというだけでは済まされなくなっている。あまりに永いあいだ気まぐれな不合理きわまる教義を信じ込まされてきて、われわれは今そうしたものにほとほと愛想をつかしてしまった。われわれが欲しいものはわれわれ自身で評価し、判断し、測定し、考察し、分析し、調査できるものだ”、そうおっしゃる物質界からの挑戦にお応えして、霊的事実の証拠を提供するということです。

それはもう十分に提供されているのです。すでに地上にもたらされております。欲しい人は自分で手にすることができます。

それこそが私たちがこれまであらゆる攻撃を耐え忍び、これからもその砦となってくれる”確定的事実”というスピリチュアリズムの基礎なのです。もはや”私は信じます。私には信仰というものがあります。私には希望があります”といったことでは済まされる問題ではなくなったのです。”事実なのだからどうしようもありません。立証されたのです”と断言できる人が数えきれないほどいる時代です。

人類史上はじめて宗教が実証的事実を基盤とすることになりました。神学上のドグマは証明しようのないものであり、当然、議論や論争がありましょう。が、死後の存続という事実はまともな理性を持つ者ならかならず得心するだけの証拠が揃っております。

しかし、証明された時点から本当の仕事が始まるのです。それでおしまいとなるものではありません。まだその事実を知らない人が無数にいます。その人たちのために証拠を見せてあげなくてはなりません。少なくても死後に生命があるという基本的真理は間違いないのだという証拠を植え付けてあげる必要があります。

墓の向こうにも生活があるのです。あなた方が”死んだ”と思っている人たちは今もずっと生き続けているのです。しかも、地上へ戻ってくることもできるのです。現に戻ってきているのです。

しかし、それだけで終わってはいけません。死後にも生活があるということはどういうことを意味するのか。どういう具合に生き続けるのか。その死後の生活は地上生活によってどういう影響を受けるのか。二つの世界の間にはいかなる因果関係があるのか。死の関門を通過したあと、どういう体験をしているのか。地上時代に口にしたり行ったり心に思ったりしたことが役に立っているのか、それとも障害となっているのか。こうしたことを知らなくてはいけません。

また、死後、地上に伝えるべき教訓としていかなることを学んでいるのか。物的所有物のすべてを残してきたあとに一体何が残っているのか。死後の存続という事実は宗教に、科学に、政治に、経済に、芸術に、国際関係に、果ては人種問題にいかなる影響を及ぼすのか、といったことも考えなくてはいけません。そうなのです。そうした分野のすべてに影響を及ぼすことなのです。なぜなら、新しい知識は永いあいだ人類を悩ませてきた古い問題に新たな照明を当ててくれるからです。

(引用;シルバーバーチの霊訓〈7〉より)