霊的存在として生きる

私たちの本性は何なのか。

肉体でもなければ、精神でもありません。永遠の命である霊であることを自覚する必要があります。

永遠の命である霊が、この地上において肉体という重い物体を身にまとい、霊性を発揮するための修業を行っているのです。

霊性を発揮するとは、人のために、社会のために役に立つことをするということです。

物的存在物はいつかは朽ち果て、地球を構成するチリの中に吸収されてしまいます。

ということは物的野心、欲望、富の蓄積は何の意味もないということです。

一方あなたという存在は死後も霊的存在として存続します。

あなたにとっての本当の富はその本性の中に蓄積されたものであり、あなたの価値はそれ以上のものでもなく、それ以下のものでもありません。

そのことこそ地上生活において学ぶべき教訓であり、そのことを学んだ人は真の自分を見出したということになりましょう。

地上生活を見ておりますと、あれやこれやと大事なことがあって休む間もなくあくせくと走り回り、血迷い、やけになりながら、その一番大切なことを忘れ、怠っている人が大勢います。

私たちの説く教訓の中でもそのことが一番大切ではないでしょうか。

それがいったん霊の世界へ行った者が再び地上へ戻ってくる、その背景に秘められた意味ではないでしょうか。

それを悟ることによって生きる喜び、神の子として当然味わうべき生きがいを見出してもらいたいという願いがあるのです。

それは、いわゆる宗教あるいは教会、教義、信条の類(たぐ)い、これまで人類を分裂させ戦争と混乱と騒乱を生んできたものより大切です。

少しも難しいことではありません。

自分という存在の本性についての単純きわまる真理なのです。

なのに、それを正しく捉えている人はほんの僅かな人だけで、大方の人はそれを知らずにおります。

(引用;シルバーバーチの霊訓〈6〉より)