現在、国内外の姉妹店を含めて22店舗、約100名の従業員を擁す銀座の高級理髪店「銀座マツナガ」の松永社長の生き様です。

松永さんは昭和16年新潟県南蒲原郡栄村(現・三条市)で理髪店を営む両親のもと、4人兄弟の長男として生まれました。

物心ついた時から店内で遊び、両親の働く姿を見て育ったことに加え、当時は長男が後を継ぐものという空気が色濃く、自然な成り行きで理容師の道に進みました。

中学を卒業すると、同級生のほとんどが中卒で東京や横浜へ集団就職していく中、松永さんは新潟市内の理容師専門学校へ進学しました。

1年間専門学校で基礎訓練を受けた後、専門学校の外来講師が店主を務める理容店に就職して本格的に腕を磨きました。

その理容店は12~13人のスタッフ全員が一つ屋根の下で住み込みしながら働くところでした。

1日の始まりは朝6時に起床とともに、40分ほどかけて店の掃除をします。

そのあと全員で朝食をとりますが、ご飯と味噌汁、たまにたくあんという質素な食事です。

昼はコッペパン1個に、夜は朝食の内容に僅かなおかずが1品。

給料も3回映画を見ると使い果たしてしまうような額でした。

このような状況に耐えられない同僚は店を去っていきましたが、松永さんは石にかじりつくような思いで耐えました。

 

そこで4年修業した後、理容師の全国大会のチャンピオンで数多くの弟子を育てていた大阪のカリスマ理容師のもとで修業したいという強烈な思いに突き動かされて、その門をたたきました。

松永さんは理容業界で成功を収めている人はどのような歩みをたどってきたのかを研究し、お客さんの支援で独立を果たしているケースが多いことに気づきました。

23歳で上京したのは、大阪より東京のほうがチャンスが広がるのではないかと考えたからです。

新潟で4年、大阪で3年、もうこれ以上勉強することはないくらい修行を積んだという自負がありましたので、自分の実力を存分に発揮できるところへ行きたいと思い、有名店は避けて新規開業の店を選びました。

就職してわずか2、3か月で松永さんに目をかけてくれるお客さんが現れました。

その人は店主のお客さんで、松永さんはアシスタントとして、カットした後のシャンプーやシェービングを担当していただけに過ぎませんが、目をかけてくれたのは松永さんの誠意が伝わったからです。

その人がどんな気持ちでシャンプーやシェービングをしているかは、10本の指をとおして必ずお客さんに伝わると松永さんは言います。

要するに、髪の毛の洗い方や顔の剃り方一つに、その人の心の状態や人間性が現れるのです。

松永さんは限られた時間の中で自分ができる最高のものをとことん誠実にやること、お客さんに小さな感動を味わってもらうことを、修行中に徹底的に叩き込まれていました。

松永さんは、そのお客さんの言葉に従い、独立を果たすために自分の給料を開業資金として全額貯金し、妻の給料で生活費をやりくりすることにしました。

そして、四畳半1間のアパートに引っ越し、基本的に外食せず妻が仕事と両立して食事を作りました。

ユニフォーム1枚あれば仕事ができる職業なので、洋服や靴、装飾品などは一切買わないという日々を4年半過ごしました。

その間に子供も生まれましたが、独立する前月まで全額貯金し続けました。

松永さんにとっては苦痛でもなんでもなく、むしろ夢がいつ実現できるだろうという期待感で胸がいっぱいでした。

目的が明確に定まっていれば、誘惑に負けることはないし代償を支払うことを厭わないのです。

そして、27歳の時に銀座中央通りに面した12坪の場所に第1号店を開業しました。

松永さんは、ご自身の経験を踏まえて次のような言葉を述べています。

「自分の人生は自分の思い描いたとおりになる」

これはジョセフ・マーフィーの名言ですが、私自身の実感でもあります。

他人の人生はどうすることもできないけれど、自分の人生であれば努力と心がけ次第で自分の思い描いたとおりになります。

まさに絶対的な真理です。

その時に忘れてならないのは、サミュエル・スマイルズが「天は自ら助くる者を助く」と述べているように、人頼みの姿勢で生きるのではなく、精神的にも技術的にも自分の力で生きていく心構えを持つことです。

それが原点にない人に良き出会いやチャンス、天の助けは巡ってこないのです。

(参考:『致知』2017年5月号)

まさに、「自分の人生は自分の思い描いたとおりになる」というjyせフ・マーフィーの言葉通りの人生です。

そして、サミュエル・スマイルズの「天は自ら助くる者を助く」という言葉も肝に銘じておきたい言葉です。