死は悲しむべきものではない
3000年以上前に地上去った霊界からの使者シルバーバーチは、死について次のように述べています。
大部分の人にとって死は牢からの解放です。
私の世界へやってきた人は死が階段を一つ昇ったことを意味すること、大きな解放を得たことを理解します。
潜在的能力を発揮するチャンス、地上でなし得なかった仕事をするチャンス、かつては考えられなかったほど生気はつらつとした生活ができるチャンスを得ます。
もちろん地上の生活とに断絶が生じたことに悲しみの情を覚えるのは当然です。
が、他界していった者に何ら悲しむべきものはないという事実を知ることによって、その悲しみを少しでも小さくすることはできるはずです。
なぜ死をそんなに災いのようにお考えになるのでしょうか。
赤ん坊が生まれると地上ではめでたいこととして喜びますが、私たちの方では泣いて別れを惜しむこともしばしばなのです。
地上を去ってこちらの世界へ来る人を私たちは喜んで迎えます。
が、あなた方は泣いて悲しみます。
死は大部分の人にとって悲劇ではありません。
しばらく調整の期間が必要な場合がありますが、ともかく死は解放をもたらします。
死は地上生活が霊に課していた束縛の終わりを意味します。
あなた方は死後も永遠に生き続けるのです。
たとえ地上で60歳、70歳、もしかして100歳まで生きたとしても、永遠の時の中での100年など一瞬の間に過ぎません。
あなたは定められた時期に地上を去ります。
大自然の摂理の働きに偶然の出来事というものはありません。
しかも、多くの場合その時期は、地上へ誕生する前にみずから選択しているのです。
私たちの世界の素晴らしさ、美しさ、豊かさ、その壮観と光輝は、地上のあなた方にはとても想像できません。
ともかくも私は矛盾を覚悟の上であえて断言しますが、”死”は独房の扉のカギを開けて解放してくれる看守の役をしてくれることがよくあるのです。
地上の人間は皆いつかは死なねばなりません。
摂理によって、永遠に地上に生き続けることはできないことになっているのです。
ですから、肉体はその機能を果たし終えると、霊的身体とそれを動かしている魂とから切り離されることは避けられないのです。
かくして過渡的現象が終了すると、魂はまた永遠の巡礼の旅の次の段階へと進んでいくことになります。
(引用;シルバーバーチの霊訓(8)より)