成長するとは

子供や教え子などが成長したという時には、身体が大きくなったというだけではなく、人間的に成長したという意味が込められています。

人間はどのようなときに成長するのでしょうか?平穏無事に過ごしているときに成長するのでしょうか?

人間としての成長は、つらいこと、かなしいことなどを乗り越えることにより得られるものです。

「若い時の苦労は買ってでもせよ」という言葉がありますが、その通りだと思います。

偉人といわれる人の伝記などを読んでも、幼少期に苦労した人が多いです。

そして、その苦労を糧として成長し、偉人といわれるようになるのです。

お金持ちの家に生まれ苦労を知らずに育った人は、往々にして鼻持ちならない人間になり、親の財産を食いつぶしてしまうことがあります。

創業者の二代目が、親の会社を傾かせてしまうこともあります。

艱難辛苦こそが、自らを鍛え成長させるのだということがわかれば、艱難辛苦に対してきちんと向き合い、立ち向かうことができます。

昨日よりは今日、今日よりは明日と少しでも人間的に成長していくことが、私たちがこの世に生を受けた目的なのです。

今から3,000年以上前にこの世を去ったシルバーバーチという霊魂が、死後の世界のことや私たちがこの世に生まれてきた目的などを語った『シルバーバーチの霊訓』にも、同様のことが書かれています。

苦と楽、悲しみと喜び、平静さと怒り、嵐と晴天、こうしたものがみな魂の成長の糧となるのです。

そうしたものを体験し教訓を学んではじめて成長するのです。

その時はじめて宇宙が無限なる愛によって支配され、その愛から生み出された摂理に間違いはないとの自覚を得ることができるのです。

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つまり宇宙の摂理に不動の、そして全幅の信頼を置くことができるようになれば、人生で挫折することことはありません。

なぜならばその信念が内部の霊力を湧き出させ、何事も成就させずにはおかないからです。

その霊力を枯渇させ麻痺させる最たるものは”心配”の念です。

全幅の信頼心ー盲目的な信仰ではなく知識を土台とした完全なる信念は、人生のあらゆる体験に心配も迷いも不安もなく立ち向かわせます。

(引用:シルバーバーチの霊訓〈6〉より)