宅麻伸さんが俳優になるまで
「課長 島耕作」などのTV主演で知られる宅麻伸さんは、母1人子1人の母子家庭で育ちました。
母親は夜も仕事で忙しかったので、小学校に上がると夕飯は近所の店で食べていたそうです。
母親が体調を崩し入院した時は外食もできず、唯一の栄養源が学校給食、母親の病院食を代わりに食べたこともありました。
親戚の家に預けられたこともあるそうです。
家族が食卓を囲む光景を見て、初めて普通の家の食事というものを知ったそうです。
高校は定時制の高校に進みました。
午前中は造船所で働き、午後からは普通の高校生活を送るという生活でした。
そんな宅麻伸さんが芸能界の道へ行こうと決めたのは、高校4年の時に職場の先輩から「モデルとか役者になったら」と言われたことがきっかけでした。
その気になってテレビを見たら、当時の人気番組「非情のライセンス」の天地茂さんが映っていました。
「おれ、この人と会うんだ」と直感したそうです。
東京のつてといえば池袋のキャバレーしかありませんでしたが、その年に母親が亡くなったので、高校卒業後の19歳11か月で上京し、住み込みで働き始めました。
キャバレーボーイとして働いていた宅麻伸さんが芸能界に入ったきっかけは、食卓代わりにしていた近所の喫茶店の人がたまたま天地茂のプロダクションの人を知っていて紹介してくれたからです。
キャバレーで働く傍ら、松浦竹夫演劇研究所に通い始めました。
同期の国広富之さんが翌年「岸辺のアルバム」で一躍スターダムにのし上がるのを見て、宅麻伸さんは目からうろこが落ちたそうです。
「こんなふうになっちゃう世界なんだ」と。
翌年からは、真面目に練習に取り組み、天地茂さんの現場にも連れて行ってもらうようになりました。
宅麻伸としてのデビューは2年後の23歳、「新・七人の刑事」の刑事役でした。
(参照:日本経済新聞「NIKKEI プラス1」)
宅麻伸さんがそう思っているかどうかはわかりませんが、幼少期の辛い経験があるからこそ、いまの活躍があるのだと思います。