因果律
因果律は全法則の基本原理であり根底であり、永遠に不変のものです。
自分が蒔いたタネが生み出すものを自分で刈り取るという原則です。
1つの原因に対して数学的正確さをもって結果が生じます。
その結果がまた原因となって新たな結果を生み、それがまた次の原因となって行きます。
この過程が絶え間なく続きます。
タネに宿っているものが正直に花を咲かせるのです。
千変万化の大自然の現象は、最大のものも極小のものも、単純なものも、1つの例外なくこの因果律に従っています。
いかなる人物も、いかなる力も、その連鎖関係に干渉することはできません。
万が一にも原因に対してそれ相応の結果が生じないことがあるとしたら、地球も太陽も、あるいは宇宙全体も大混乱に陥ることでしょう。
宇宙は完全な公正に支配されています。
もしも宗教的ないし霊的な意味があるかに信じられている文句を唱えることによって、それまで犯した過ちの結果が一挙に取り消されるとしたら、それは大自然の摂理の働きが完全でなく不公正であることを意味します。
大自然は人間の願望におかまいなく、定められた通りのパターンに従わねばならないのです。
果たさねばならない役割があり、それを果たし続けます。
人間がその自然の摂理と調和して生きれば、幸福感を生み出すような結果がもたらされます。
時には、こんな幸せでよいのだろうか、と思うほど豊かな幸せをもたらしてくれることもあります。
反対に自然を搾取し、その意図に逆らったことをすれば、それは神の無限の創造活動に干渉していることになり、その愚行には必ずや神のお咎めがあります。
大自然は定められた目的を成就し続けます。
摂理はあくまでも摂理です。
完全な普遍性をもって、人間の願望におかまいなく作用します。
つぼみ⇒開花⇒満開、これが自然の摂理のパターンです。
原因と結果の不変の連鎖関係、それが大自然の根本原理です。
間違ったことをすればその償いをしなければなりません。
正しいことをすれば、その分だけ幸福感を味わいます。
理屈は簡単なのです。
(引用:シルバーバーチの霊訓(10)より)
因果律とは、要は自分が蒔いたタネを自分で刈り取ることです。
つまり、自分が今置かれている環境、状況はすべて自分が過去に蒔いたタネの結果であることを認識しなければなりません。
それを他人や自分以外の何かに原因を求めようとするから、おかしくなるのです。
いつまでも自分以外のところに原因を求め続ける限り、状況を自分で改善することはでません。
なぜなら、他人や自分以外の何かを自分が変えることは不可能だからです。
そうではなくて、今の状況はすべて過去の自分が蒔いたタネであることを本当に理解し納得できた時から、状況や環境は改善されていくのです。
なぜなら、全ての原因が自分にあるのであれば、自分を変えればいいだけだからです。
たった今から善きタネを蒔き続ければ、かならず将来善き結果が生じます。
そうです、因果律を真に理解した人は、今この瞬間、善きタネを蒔くことに集中するのです。