原因と結果の法則

宇宙は原因と結果の法則、すなわち因果律という絶対的な法則に支配されています。

何物もこの因果律から逃れることはできません。

大根のタネを植えれば大根ができ、人参のタネを植えれば人参ができます。

決して、ホウレンソウができたり、ジャガイモができることはありません。

自分の手を包丁で切れば、血が流れます。

これも、因果律という自然法則によるものです。

自然界は、この因果律に完全に支配されているのです。

1つの例外もありません。

私たちの言葉、態度、行為は、いわば池に投げ入れた石のように、それ相当の波紋を生じさせるのです。

因果律は、因果応報、善因善果という言い方もされます。

すなわち、善きことをすれば善き結果が起こり、善くないことをすれば、善くない結果が起きるということです。

人を傷つけるような事をすれば、それ相応の償(つぐな)いをしなければなりません。

逆に人を喜ばせるようなことをすれば、それ相応の報奨(ほうしょう)を受けることができます。

人をだます、うそをつく、約束を破るなどといった行為は、すべて善くない行為であることは誰にでもわかることです。

必ず、相応の償いをしなければならなくなります。

最近、オレオレ詐欺が多発していますが、このような詐欺行為で一時的に大金を手にしても、結局は「あぶく銭(ぜに)身につかず」で、身を持ち崩(くず)すことは想像に難(かた)くありません。

因果律という自然法則は絶対だからです。

仮に人間が作った法律から逃れることができたとしても、自然界の因果律から逃れることはできないでしょう。

どのような結末になるかは「神のみぞ知る」ですが、決して幸福な人生を送ることができないことは明らかです。

しかし、天はこのような罪を犯した人に対しても、愛をもって接します。

因果律による償いをする時に、人間としての進化向上の機会が与えられるのです。

決して見捨てることはありません。

しかし、その進化向上の機会を活かすも活かさないも、その人に選択の自由が与えられています。

オレオレ詐欺は極端にしても、私たちも日常で、良心の呵責(かしゃく)をうけるような善くないことをしてしまうことは少なからずあると思います。

学校や会社でのいじめなどもそうです。

自分ではそのつもりではなかったにしても、結果的にはいじめになってしまったり、自分から積極的にいじめに参加していなくても、それを見て見ぬふりをしてしまうなど、後から後悔するようなことはあると思います。

このような良心の呵責や後悔も一種の因果律の働きによるものです。

折に触れて、いじめをした時の記憶がよみがえり、良心の呵責や後悔の念にさいなまされ、場合によっては神経を蝕(むしば)むこともあります。

因果律の存在を認識したら、どうすればよいのかはおのずと明らかになります。

善きことを思い、善き言葉を口にし、善き行いをすることにより、善き結果を得ることができるのです。

善きこととは、人が喜ぶこと、人の役に立つこと、自分がしてほしいことを他人のためにすることです。

そうすれば、必ず善きことが自分の身に起こるようになります。