この世に生まれてくる目的

私たちは、霊界からこの世にやってきます。

そして、死んだ後はまた霊界に戻っていくのです。

霊界といってもこの世から遠くかけ離れたところにあるのではなく、私たちの身の回りに存在している世界です。

ただ、私たちとは波長が異なるため、私たちには感知できないだけです。

ただし、まれに霊界の波動を感知できる人がいます。

いわゆる、霊能力者、霊媒といわれる人たちです。

余談はさておき、私たち霊魂は常に進化向上を求めて活動しています。

進化向上のためには、学習と経験が必要です。

私たちがこの世にやってきたのは、この世でしか学ぶことができない学習、体験をするためです。

魂としての現段階での進化レベルで必要とする苦難と挑戦を求めにやってきたのです。

この世での生活では、霊界から何人かのメンターが私たちに付き添います。

いわゆる、背後霊です。

この世での困難や悩みに際して、慰めてくれたり、援助してくれたりします。

(とはいっても、意思の疎通は肉体によってかなり制限されてしまうのですが。)

私たちが、この世にやって来る際には、メンター(背後霊)と共にこの世での人生や体験について検討し、最終的には自分でこれだと思う人生を選ぶのです。

私たちがこの世での人生(親を含めて)を決定すると、メンターたちに別れを告げることになります。

この世での母親として選んだ女性が受胎した時に、私たちはその種子に宿ります。

この時には、深い昏睡状態に陥りそれまでの記憶はすべて失われます。

私たちがこの世で送る人生は、私たち自身が自分の進化向上にとって必要と考え選んだのです。

従って責任はすべて自分にあるのです。

どうして私はこんな目に遭(あ)うのだろうかとか、何も悪いことはしていないのになぜこんなに苦しい目に遭わなければならないのだろうかと思っている人もいるでしょう。

しかし、その苦しみは自分が選び取ったものであり、その苦しみを経て成長するためにこの世に生まれてきたのです。

過去を振り返ってみた時に、自分が成長したと思える時はどんな時でしょうか?

おそらく、何らかの試練に直面し、それを乗り越えようと奮闘した時ではないでしょうか。

スポーツの世界でも、良い結果を出すためには自分に厳しい練習を課す必要があります。

平々凡々とした楽な生活を送っていては、決して成長することはできないでしょう。

苦しみ悩んではじめて、霊的に成長することができるのです。

まさに、『艱難(かんなん)汝(なんじ)を玉(たま)にす』です。

苦難に直面して、不平を言う人もいれば、逆に苦しみを天からの試練と受け止めて感謝する人もいます。

苦難こそ自分を鍛えるのだと心得、そうした天の試練を受けられるようになった自分をむしろ誇りに思うのです。

江戸時代の陽明学者 熊沢蕃山が次のように歌っています。

『憂(う)きことの尚(なお)この上に 積もれかし限りある身の力ためさん 』

人生が与える様々な試練に対処していくその道のりにおいて、どれほどのものを身に付けることができるかが、私たちの霊的成長のレベルを決定づけるのです。

この世という学校での学習が不十分なため落第となり、再度この世をやり直すこととならないように精一杯生きていきたいものです。