19歳で肝臓がんのため余命半年と宣告されながら25歳の今も元気な女性の話
その女性(Aさん)にガンが見つかったのは、19歳、大学1年生の時でした。
秋の大学のオリエンテーション、後期の授業が始まろうとしている時です。
お昼休みに突然胸が苦しくなり、呼吸するたびに刺激するような痛みがあり、近所の病院で調べてもらったところ、すぐに大きな病院で検査を受けるように勧められました。
2日後に検査をしたら、人の顔より大きなガンが見つかりました。
胸が痛くなったのは、呼吸するたびにガンが肺にあたっていたせいです。
ガンは破裂寸前まで巨大化していて、ちょっとした刺激でも内出血で即死の状態でした。
健康な人が最大で20といわれる腫瘍マーカーの数値は70,000まで膨らんでいました。
お医者さんからはこれだけの数値は見たことがないと言われました。
Aさんは、最初、このようなことを一切知らされませんでした。
Aさんの母親が担当医から、余命半年で外科的な手術を含め、放射線治療も化学療法なども打つ手がないと言われていました。
その日の夜、Aさんがトイレに行こうとリビングの横を通った時に、父と母の話し声がして「肝臓ガン」「余命半年」というキーワードが耳に入ってきて、その後のことは覚えていないそうです。
気がついたらベッドの中で泣いていました。
その後、両親と一緒に休学や下宿を引き払う手続きをした翌日のことです。
Aさんが母親と二人で街を歩いていると、お医者さんから母親に精密検査をしてみたらガンがどこにも転移していないので、外科手術が可能との連絡がありました。
母親から「手術ができるよ。もう大丈夫だからね」といわれ、Aさんは「もう知らないふりをしなくてもいいんだ」と思ったら、人目もはばからずに大声で泣いていました。
手術は10時間に及ぶ大手術でしたが、2キロもあるガンを全部切除できたので成功でした。
Aさんはこれで自分は助かったと思いました。
それまでは、親や先生に対してずっと良い子で来ましたが、もしかしたら死ぬかもしれないと思った時に、自分は何のために生きているんだろう、自分の将来の夢は何なのだろうと考え始めました。
自分が納得できる生き方をしたいと初めて強く意識しました。
翌年の4月に、Aさんは大学に復学します。
ところが、手術の後、2か月に1度、定期健診に通っていましたが、4月の検診で肺に転移していることがわかりました。
Aさんはまたもや大学を休学して肺の4分の1と再発した肝臓を少し切除しました。
その後、これまで手術は数十回に及んでいます。
ガンとのいたちごっこを繰り返しながら、何とかガンをなだめて共生しているのです。
Aさんは、このような状況を振り返って、次のように述べています。
「もちろん、落ち込んだり、その先にある「どん底」までいったりすることがあります。
私の場合、辛いとか、悲しいときは「どん底」ではないんです。
「どうしよう」と泣いている時はまだ大丈夫な証拠です。
「どん底」になると思考が停止し、頭が真っ白になって何も考えられないし、誰の声も届かなくなります。
真っ白な世界にただ一人取り残されたような感じです。
主治医の先生に「いまのところ、もう打つ手はない」と言われた時なんかは、まさにそんな状態でした。
でも誰にも会わずに独りでいる時ってそんなに長くはありません。
そばにいる人がちょっと声をかけてくれるだけで、ハッと我に返る瞬間があります。
その時に初めて人の優しさや励ましの言葉を受け入れて立ち直ることができるんです。
いまが「どん底」だとわかれば、それ以上に落ちることはない、あとは上がるしかないわけですから」
また、Aさんは、以前体に薬疹ができた時に不思議な体験をしました。
近々友人と海外旅行に行くことになっていたので、その時までに絶対に治すと決めました。
食事に感謝して胃で消化させて栄養として全身に行き届く様子をイメージしてみたり、母親が近くで見守っていてくれることにも感謝、生きていられることにも感謝、そうしたら4日ほどしたら薬疹が引いてしまいました。
皆からは奇跡だと驚かれたそうです。
キリスト教系の高校で学んだ「起きる出来事で無意味なものは何一つない」、「神様は乗り越えられない試練は与えない」などの言葉の数々が、ガンを乗り越える上でとても大きな力になったと語っています。
そして、Aさんは最後にこのように締め括っています。
「自分の人生は自分にしか生きられません。
だとしたら、自分で納得できる人生にしたいですよね。
私はガンになっていろいろなことにすごく感謝できるようになりました。
人間って本当にありがたみの分からない生き物だなって最近思うんです。
例えば、普通にご飯が食べられるのはとてもありがたいことなのに、食べられなくなった時にやっとそのことに気づいたりだとか。
私は足の骨にガンが転移してから歩くことが実はすごいことだと気づいたし、気管支の部分にガンがバーッと広がって初めて呼吸のありがたさに気づきました。
当たり前なことなど何一つないということです。
まだまだ神様から与えれた才能の十分の一も使いこなせていないでしょうけど、与えられたものを精一杯使って最後まで生き抜こうと思います。
自分らしく、自分が悔いのないように・・・。
(参照:『致知』3月号より。致知では実名で紹介されていますが、ここでは名前を伏せて紹介しています。)
「起きる出来事で無意味なものは何一つない」、「神様は乗り越えられない試練は与えない」などということは、まさにその通りだと思います。
このような言葉を知っているだけでなく、身をもって実感できる人は、幸せを手にすることができる人です。
そして、幸せになるための重要なキーワードが”感謝”です。
日常の些細な事にも「有難い」と感謝の気持ちを抱けるようになりたいものです。