若くしてガンを患った女性
A子さんは若い身でがんを患ってしまいました。
つらい闘病生活を経験する中で、病気を治すには体の治療だけでなく心も治さなければ、と思い立ちます。
そして手にした『致知』で鎌倉円覚寺管長 横田南嶺氏の「坐禅の要領は、ほんのひと時でも過ぎたことは気にしない。これから起こることも気にしない、この二つ。」という言葉に出会いました。
手術で失った体の一部を思い煩(わずら)い、これからの不安にとらわれがちだったA子さんは、この簡潔な言葉から、いま現在をしっかり生きよう、こうして生きていることに感謝しよう、と思い直すことができました。
「自分はお坊さんのようにお寺で修行はできないけど、病気とともに日常生活の中で生きている感謝、生かされている感謝を学ぶために、自分なりの修行をしたい」
という手紙をA子さんは横田管長に送りました。
横田管長は「いま置かれている状況の中で、日常の生活の中で、感謝をもって生きることこそ最大の修行です」と返事をしました。
以来、手紙のやり取りを何度かする中で、A子さんの容態が優(すぐ)れず実家に戻ったこと、まだ幼い子どもがいることなどを知りました。
そして、次のように書かれた手紙が届きました。
「この病を得なければ、私は心や人間、自分を高めようと読書や勉強をすることはなかったでしょう。
悪いと思われても、その陰には善いことも隠されているのです。
この間教会の前を通りかかったら、<天の父よ、どんな不幸を吸っても吐く息は感謝でありますように>という看板を見つけ、心に刻みました。
病気で苦しくても、いま私は生きています。
それがすべての答えだと思います」
これが、A子さんの最後の手紙となりました。
亡くなる年の6月には、感謝の気持ちを込めてと、サクランボが届きました。
明くる年には、A子さんの母親からサクランボが送られてきました。
その手紙でA子さんが亡くなったことを知ったのです。
亡くなるほんの少し前に、自宅のテレビで御嶽山(おんたけさん)の噴火で亡くなった人々の報道を見ながら、「お母さん、急に亡くなってしまう人もいるんだよ。私は時間があって考える時があるだけ幸福だよ」と語っていたそうです。
以来、毎年サクランボが送られてきました。
今年もまたサクランボが送られてきて、手紙には月末に円覚寺の法話会に娘を連れて参りますと書いてありました。
A子さんのご両親とご主人と、そして忘れ形見のお子さんとが、遺影を抱いて円覚寺を訪れました。
3年前に、できればこの夏に円覚寺に行って直接話を聞きたいという手紙が送られてきたのが最後でした。
それがようやく、ご両親に抱かれての訪問となりました。
(引用:『致知』10月号)
A子さんはきっと今もわが子を、わが家族を見守り、必要な支援をしてくれているでしょう。