元暴走族総長の更生の物語
Kさんが小学2年生の時に、両親が離婚し母親はスナックで働きながらKさんと2歳の弟を育てることになりました。
母親が働きに出ている深夜は、Kさんが弟を守らなければならず、不安で眠れない日々を過ごします。
しかも、その頃にKさんは体が小さかったため学校でいじめを受けていました。
そうしたストレスが爆発して、ある時、いじめのリーダー的存在の子を武器を使って叩いてしまいます。
そこから、これまでの関係が逆転して、Kさんはクラスのリーダー的存在となります。
Kさんは初めて自分の存在意義を認めてもらった気がして、次の日からやりたい放題大暴れをし、そこで全ストレスを発散するようになりました。
Kさんが中学2年生の頃、仲の良かった先輩たちが暴走族を結成したので、Kさんは最年少メンバーとして加わりました。
高校には行かず、仕事も長続きせず、窃盗や恐喝を繰り返して生活し、18歳の時に暴走族の3代目総長になりました。
19歳で暴走族を引退してからは暴力団と関わりを持つようになって、そこで覚せい剤を覚え、仕入れた覚せい剤を転売してかなりのお金を稼ぐようになりました。
20歳で結婚し、子どもができて1時期は落ち着きましたが、再び覚せい剤に手を出し奥さんとは別居します。
そして、23歳の時に覚せい剤使用で現行犯逮捕されます。
留置所に入ってすぐ、生まれて初めて罪の重さを自覚し、反省という感情が生まれました。
そして、それまで自分に手を差し伸べてくれた先生や警察、母親の顔が次々と浮かんできました。
その時、留置所の小窓がパアッとまばゆい光が差し込んできて、声が聞こえました。
「あんたが真面目になったとしても、あんたが道をつけた人たちは被害者として残っていくんや」
Kさんが更生しようとしている間にも、Kさんが悪さを教え、暴力団と繋いだ仲間は悪の道に進み続けています。
それまでまともに仏壇にも手を合わせたことがありませんでしたが、正座してその光に合掌して「もう一度だけ、チャンスが与えられるのであれば、自分だけでなく自分が悪の道に引き込んだ仲間を、何年かかっても必ず元のレールに戻します」と誓います。
2か月半後の判決では、奇跡的に執行猶予付きで釈放されることになりました。
しかし、街で仲間に会うたびに「ケツを割った奴」という目で睨まれるという日を送ります。
夜中に足音が聞こえる度に「自分を殺しに来たんじゃないか」と思い、包丁を持ったまま寝たり、自殺しようと山に入ったこともあります。
そんな状況で、助けを求めてたまたま飛び込んだのが、地元の大きなお寺でした。
いきなり入っていき開口一番「俺って救われるやろか」と聞いたKさんに対して、住職は親鸞や釈迦の言葉を教えてくれました。
それが心の安定剤となり、保護司でもあった住職のもとに毎日通うようになります。
そのお寺は浄土真宗のお寺でしたが、Kさんが座禅をしたいと言うと、住職は「私も座禅をしたいと思っていた。禅寺の友達がいるから、一緒にやろう」と言って、毎週土曜日に1時間半、それを半年間ずっと付き合ってくれました。
Kさんはさらに厳しい修行を求め、滝行やお堂にこもって修行をしている人のもとで修行することにしました。
毎朝6時にその人の家に行き、朝食を一緒に食べ、仕事を終えてからも夕食をともにして、12時過ぎにその人の家から帰路に就くという生活を丸2年続けていたら、薬を一切飲まずにうつ病を克服し、自信がついてきました。
ところが、独立しようと考えていた矢先に、事件が起こりました。
23歳の時です。
10tダンプカーで荷物を運搬していた時に、川の土手が崩れてダンプカーごと転がり落ちてしまったのです。
「やばい」と思って外に出ようにも、何かが引っかかって出られず、そのまま意識を失いました。
奇跡的に背骨にヒビが入っただけで済みましたが、病院のベッドで「ダンプカーから飛び出していたら、下敷きになって死んでいた」と聞かされた瞬間、Kさんは神様から助けられたのだと思いました。
「おまえは仲間を元のレールに戻すという使命を果たさなきゃいけない」と、天から背中を押してもらったのだと感じたのです。
仲間たちを更生させるためにはどうしたらいいいのか、Kさんは初めはわかりませんでした。
入院中に考え続ける中で、ボランティアというアイデアが浮かびました。
そこで、それまで決別していた仲間に連絡を取って、一人ひとり口説いていきました。
暴力団と親交のある人を元のレールに戻すのは大変でしたが、暴走族の世界はリーダーを中心とした縦社会ですので、リーダーだったKさんが一人ずつ納得させていくと、どんどん皆を巻き込んでいくことができたのです。
そして、1か月後、暴走族を解散して、ボランティア団体を結成します。
毎月1回、ゴミ拾いやペンキ塗りなどのボランティアを2年間続けた結果、就職先を見つけた人、結婚した人など、皆それぞれ新たな人生のスタートラインに立たせることができました。
地元の人や警察からは今だに奇跡だと言われています。
Kさんは、これまでを振り返り次のように述べています。
人がしてくれた施しというのは心に残り続けるもので、いつか必ず、その有難(ありがた)さに気づいて花を咲かせる時が来ます。
これは私自信が留置所でそれまで受けてきた施し、つまり心に植えつけられた種の数々を知って、心の花を咲かせたことで得た実感です。
私は人に尽くしたことで、自分の使命と存在意義を知りました。
そのおかげでいま豊かな人生を送れています。
(参考;『致知』5月号)
Kさんが素晴らしいのは、自分を更生させるだけでなく、暴走族の仲間全員を更生させたことです。
それだけでこの世に生まれてきた使命を十分に果たしたと言えます。
だからこそ、神様から素晴らしい祝福があったのです。
私たちはこの世で自分以外の誰かを1人でも救うことができれば、立派にこの世の使命を果たしたことになります。
そして、この考えが世界に広まれば、人類は間違いなく進化すると思います。