それでも生きる(ある少女のいじめ体験)
クラスの女子グループから仲間外れにされていた子をかばったこと、それがすべての始まりでした。
中学2年生になってひと月ほど経った頃でした。
それから数日も経たないうちにクラスの雰囲気は一変し、Aさんが教室に入っても誰も挨拶をしてくれなくなりました。
机の上は落書きだらけ。
かばってあげたはずの子が手のひらを反すように、Aさんが口にしてもいないことを女子グループに言いふらしたことで、新たな標的にされてしまったのです。
その後もAさんへの嫌がらせが続き、Aさんが耐えられなくなって学校を休むようになると、すぐに担任の先生に呼ぼ戻されて再び学校へかようようになります。
しかし、状況は何一つ変わらないどころか、ますますエスカレートしていきました。
Aさんの異変に気づいた父親が学校に乗り込むも、学校側の対応は冷淡そのものでした。
それどころか、高校の教師だった父親に対して「こんなことをされては出世に関わりますよ」と脅してくる始末です。
父親は出世に無関心で脅しには一切屈しなかったため、Aさんは再び学校を休むことになりました。
ところが、今度はいたずら電話が一日中鳴りっ放しになります。
さらに、Aさんが通っていた塾に押しかけられ、家のチャイムを執拗に鳴らされるなど、とうとう警察沙汰に発展しました。
それまで静観を続けてきた市役所や教育委員会も、被害が明らかになったことで、転校の話をやっと認めてくれることになりました。
しかし、学校は「私がいじめをした張本人である」と一筆書かなければ転校を認めないと迫ってきたのです。
責任を一切負いたくないという学校側の対応に唖然としましたが、Aさんは現状から脱するためならばと、心ならずも一筆したためました。
一時は転校先にまで押しかけられたこともありましたが、環境が変わったことでようやく平穏な生活が訪れるようになったそうです。
しかし、Aさんは人に会うのが怖くなり、まともにご飯が食べられなくなってしまったのです。
結局、中学校卒業後は通信制の高校に進学しましたが、普通の学生生活を送ることはできず、2年近く入院することになってしまいます。
今から30年以上前の出来事ですが、Aさんがこの体験をありのままに周囲の人に話せるようになったのはここ2,3年のことで、それまでは怖くて話をすることができなかったそうです。
当時を振り返り、Aさんは次のように述べています。
いじめに遭うようになってから転校するまでの約半年間は、生きている意味や先のことも全く分からず、真っ暗なトンネルを永遠に歩き続けているような心境でした。
実家の近くを通る道路を見つめて、「死にたい」と思ったこともありました。
「バカなことをするんじゃない」。
壁をよじ登ろうとするAさんに、通りすがりの年配の男性がそう言って呼び止めてくれなければ、Aさんの人生はそこで終わっていたでしょう。
その男性は、事情を聴いたうえで、「世の中辛いことはいくらでもあるんだから、やられたんならやり返せ」と言って去っていきましたが、そのおかげでAさんは「生きる」ことを選択できたそうです。
そんな私がいま最も伝えたいことは、いじめを受けて悩んでいる人たちに「生きる」という選択をしてほしいということです。
私は人に裏切られましたが人に救われたことでいまの自分がいます。
人の温かい気持ちを大切にしたいという思いは、辛い体験があったからこそより強く感じています。
(参照:『致知』2017年6月号)
谷が深ければ深いほど、そのあとに訪れる山の頂きは高くなります。
辛い経験をすることによってこそ、人は成長できるのです。