あるDV被害者の少年を救った文通
毎日、鏡に映る無数の傷跡を見るたびに過去の忌まわしい出来事が蘇る。
消えることのない記憶とは反対に「文通」という人とのつながりが、私を死んだ者から生きる勇気を与えてくれるものとなった。
私は今でいう、DV(ドメスティック・バイオレンス)の家庭で育った子どもだ。
毎晩のようにすさまじい暴力があったある日、母親はまだ一番小さい妹だけを連れて「買い物に行ってくる」といったきり帰ってくることはなかった。
残された兄と私は父親からの暴力のターゲットになった。
そのたびに警察へ何度も駆け込んだが警察官は「また、お前たちか」と言い、父親に連絡を取り連れ戻されるということが何度もあった。
ある夜、いつものようにすさまじい暴力があり、兄は「今から逃げるぞ、思いっきり走れ!」というと、靴も履かずに素足のままで暗い夜道を思いっきり走り続けた。
振り向く余裕などなかった。
見つかれば今度こそ殺される・・・。
私は必死に兄の後をついて走り続けた。
気がつけば児童相談所から児童養護施設へ入った。
「もう、これで怖くない、大丈夫・・・」と。
その施設での生活は幸せだった。
家庭的な温かい雰囲気のリビング、本棚にはたくさんの絵本やマンガ、暖かいベッド、清潔な洋服、1日3回の暖かい手作りの食事とおやつ。
そして何よりもうれしかった事は、私を一人の子どもとして大切に扱ってくれたことだ。
当時、養護施設から高校進学を希望する児童には公立私立を問わず高校奨学金が給付されることが決まり、養護施設児童の高校進学への道が全面的に開かれることになった。
その施設は高年齢児童受け入れを考えていたために、小学生だった私は父方の叔父夫婦へ引き取られることになった。
本当はずっとその施設に居たかったけれど、口に出すことは迷惑がかかると思い言えなかった。
ほどなくして私は叔父夫婦のもとへ引き取られた。
けれども、そこでまた暴力に遭うとは全く想像もしていなかった。
引きとられた先は、今までの生活様式とはまったく違う場所だった。
叔父は毎晩、父親と同様にお酒を飲んでは大声でどなりちらし、理由もわからないまま私を殴るようになった。
「なんで、お前がここにいるんだ!」「お前なんか出ていけ!」「帰れ!」
そんなことを言われ続けるうちに、私の心の中で「ここに置いてもらっている」という思いが沸き起こり、欲しいものも、お腹いっぱいに食べたいご飯も、すべて気を使うようになり、「私は邪魔な存在なんだ」と思うようになった。
一番つらかったことは叔父から殴られても蹴られても誰も止めてくれる人がいなかった、ということ。
わかっているはずなのに誰も見て見ぬふりだった。
それが何よりも一番つらく悲しかった。
この家の大人はみんな私の敵なんだ、という感覚しかなかった。
そんな生活を送るうちに、私の心の中で「助けて」という叫びが「文通」という形で施設の当時私の担当だったお姉さん(指導員)に手紙を書いたことが、すべての始まりだったと思う。
この文通は私が生き延びていくことにとても大きな心の支えとなり、心のよりどころでもあった。
何かあると手紙を出していたが、時には切手が数枚手紙と一緒に入っていたこともあった。
家の前で郵便屋さんの止まるバイクの音が待ち遠しく、バイクの音が聞こえると一目散に玄関に飛び出したことを思い出す。
それくらい、私にとって「文通」は命綱のようなものだった。
もう私にはそれしか頼るもの、すがるものが無かったのかもしれない。
何よりもうれしかったことは私の誕生日に必ず毎年プレゼントを贈ってくれたことだった。
生まれてから1度も誕生日のお祝いをしてもらったことはなかったが、プレゼントを贈ってくれるということよりも私の誕生日を覚えてくれている、ということのほうがとてもうれしかった。
「わたしのことを覚えてくれている」という感覚、それだけで幸せだった。
このことは私の心の中の記憶として強烈に残っている。
それは見捨てられたことがある私に「いつも見守っているよ、覚えているよ、忘れないよ」というサインにも思えた。
子ども時代に私は何度も死のうと思ったことがあった。
生きていくことに絶望しかなかったけれど、その「文通」というやりとりを通して私は生きていく希望と力を見出すことができた。
「大人になったらお礼をしに会い」に行くという希望が・・・。
その希望だけを胸に秘め遠回りしながらも頑張って生きてきた。
私は児童養護施設に1年もいなかったが、そこで知り合った先生や大切にされたという記憶と、その後たった一人の親でもない全くの他人の先生との文通が、「こんな私のことを忘れないで覚えていてくれる人がいる」という思いが、そのとき子どもだった私の心に強烈な感覚として残り、そして今、私は大人になった。
一度ならず二度もDV被害に遭い、生きる希望を失いかけた少年の心を救った養護施設の指導女性。
この女性が毎年少年に誕生日プレゼントを贈った行為は愛そのものです。
この深い愛が少年に生きる希望を与えたのですね。