あるDV被害を受けた女性の手記
わたしは、中学2年生の時に母と兄との3人で、父のDV(ドメスティック・バイオレンス)から逃げてDV被害者を救済する団体にお世話になりました。
わたしの父は毎日のようにお酒を飲み、仕事をころころと変え、浮気や暴言、暴力などを繰り返していたような人でした。
兄は小さな頃から暴力を受け続け、心や脳が傷ついたせいか、今ではギャンブルを覚え、家では部屋の片付けや掃除もできない大人のまま、成長が止まっています。
また、母も洗濯以外の掃除、家事、料理などからはほとんど離れ、母という役割を終えたかのように、恋人との時間を楽しみ、わたしが2年前に入院し手術をしたときでさえ、お金が無くなったとわたしに文句を投げかけてきました。
そんな日々の中で、わたしは思いました。
兄である彼も、母である彼女も、きっとまだ、いえ、これからもずっと、彼らはDVというものに傷つき、心に癒えないままの傷を抱えている被害者なのだと。
そして、そんなわたしもそのひとりです。
いまだに、男の人のギロッとした目を見ると、父の記憶が頭をよぎります。
父の機嫌をとり、母の顔色をうかがいながら生きていた幼い頃の習慣が抜けず、今でも人の機嫌や空気を敏感に感じ取り苦しくなるときがあります。
でも、そんな時に思い出すのは、DV被害者救済団体でお世話してくれた皆さんのことです。
あの頃のわたしには、なぜ皆さんがわたしのことを心配してくれるのか、大切に扱ってくれるのか、Yちゃん、Yちゃん、といってもらえるのか、わかりませんでした。
ただ、今となってはあの時、傷つき、疲れ果てていたわたしの心を、皆さんが優しさという愛で大事に大事に包み込んでくれたから、わたしは、いつかまたこの先の人生で、わたしを大切に思ってくれる人に出会うことができるかもしれないと信じてみようと思えたんです。
わたしを大切にしてくれる人、見守ってくれる人、見返りのない愛を注いでくれる人、あの頃のわたしは、そんな人わたしの前には現れる日なんてこないんだと思っていました。
でもいるんですね。
いたんです。
皆さんが、包み込んでくれたんです。
だからわたしは、わたしのことが少し好きになれました。
今のわたしの周りには、本当にたくさんの愛でわたしを包み込んでくれる人たちばかりです。
生きてるって幸せだ。
そう思いながら生きています。
わたし、まだまだ幸せになります。
まだまだこんなもんじゃありません。
だから、これからもずっと、見守っていてください。
わたしに居場所を下さった皆さん。
本当に感謝しています。