NHKドラマ「マチ工場のオンナ」のモデルとなった諏訪貴子貴子さんが父親の突然の死を受けて、ダイヤ精機の社長になるまでの話です。

諏訪貴子さんはお兄さんが白血病を患い6歳で亡くなった2年後に、生まれました。

諏訪貴子さんのお父さんは、お兄さんの治療費を稼ぐために、親族から人と機械を譲り受けて会社を創業しました。

そして、お父さんは、お兄さんの次に生まれてきた貴子さんに会社を継がせたいと思っていました。

諏訪貴子さんは、服飾関係の大学に行きたいという気持ちもありましたが、お父さんから言われた通り工学部へ進学しました。

大学卒業後は、お父さんの会社の取引先の大手自動車部品メーカーに就職しました。

お父さんからは役員秘書だと言われていましたが、実際は女性初のエンジニア採用で、2年間工場で修行しました。

同じエンジニアと結婚し子どもを産んだので退社しましたが、お父さんから「会社が大変だから手伝ってくれ」と言われ、ダイヤ精機に総務として入社しました。

1998年、26歳の時でした。

バブル崩壊後、赤字が続いていて、どう見ても仕事の量に対して社員が多いので、お父さんにリストラを提案したところ、「それならお前が辞めろ」と半年でクビになり、その後再び会社に戻ったものの、同じやり取りがあって、今度は3か月でクビになりました。

そんな中、諏訪貴子さんの子どもがお兄さんにそっくりだったので、お父さんは「80歳まで生きて孫に会社を継がせる」と宣言しました。

諏訪貴子さんも女性らしい仕事をしたいと思っていたので、安心して専門学校に通い直して結婚披露宴の司会をしたり、パート勤めをしながら、主婦業を謳歌(おうか)していました。

ところが、2003年に諏訪貴子さんのお父さんが肺がんになり、5年生存率は80%と言われていたにもかかわらず、半年後に緊急入院したら、もう4日しかないという話で、亡くなった時は事業承継の準備も全くしていませんでした。

本当に、「通帳や印鑑はどこにあるの?」「暗証番号を教えて」というやり取りで最期を迎えてしまい、次の日にいきなり銀行から「誰が会社やるんですか」という話がありました。

はじめに、諏訪貴子さんのご主人に白羽の矢が立ちましたが、ご主人には後悔しない道に進んでもらいたかったので、諏訪貴子さんからお願いすることはしませんでした。

その時、ちょうどご主人にはアメリカ転勤の話があったため、そちらを選択してもらったのです。

そうしたら、社員から社長に就任してほしいと懇願されました。

諏訪貴子さんが社長に就任した2004年当時は本当に何をすればいいのかわからなかったので、最初にインターネットで「社長の仕事とは」と検索しました。

検索結果でしっくりくるものが無かったので、社長じゃなくてもいい、エンジニアとしての経験を生かして社員一人ひとりをフォローしようと考えました。

まずは誰よりも会社のことを理解していなければいけないと思い、総務や経理の部屋に籠(こも)って過去30年分の経営資料に目を通し、分析しました。

それと、もう一つは、社員と諏訪貴子さんの間に一線を引くことにしました。

何よりも社員に一体感を持ってもらわなければいけないので、「諏訪貴子さんVS社員」という構図を作りました。

諏訪貴子さんが最初に言ったことは「あなたたちの底力を私に見せてください」でした。

あえて、諏訪貴子さんを社員の共通の敵にすることで、社員を奮起させて諏訪さんの出す課題をとにかくクリアしてもらおうと考えたのです。

実は社長に就任する時に、2代目でなおかつ女性ということで、銀行の評価も悪く、合併を持ち掛けられて、諏訪貴子さんは半年で結果を出すと啖呵(たんか)を切っていたのです。

諏訪貴子さんには半年の時間しかなかったので、当時はいつ起きていつ寝たのかも思い出せないくらい、がむしゃらに働きました。

そのうえで最初に行ったのがリストラです。

27名いた社員のうち、設計部門を中心に5名のリストラを行いました。

社員は、諏訪貴子さんに社長になってくれとは言いましたが、それはお飾りや象徴としての社長であって、誰も経営してくれとは頼んでいませんでしたので、社員全員が敵になりました。

諏訪貴子さんはそれでいいと思いました。

社員が一体感をもって改革に取り組んでくれることが、一番大事だと考えたからです。

実際に、半年を待たずに、わずか3か月で数千万の赤字を黒字にすることができました。

それで、銀行も納得したのか文句を言わなくなりましたし、社員も反発したり悪口を言ったり、なんだかんだありましたが、誰一人として辞表を出すことはありませんでした。

諏訪貴子さんは社長に就任して半年ほど経った頃には、すごく孤独感に陥(おちい)り、毎日のように泣いていました。

社員のためを思って改革しているのに反発されるし、自分は何でこんなに不幸なんだろう、誰も自分の気持ちをわかってくれないと。

そんなときに諏訪貴子さんが出逢ったのが、シェイクスピアの言葉でした。

「世の中に幸も不幸もない。ただ、考え方次第でどうにもなる」

諏訪貴子さんはこの言葉に助けられて、「大変だ、大変だ」としきりに言っているが、その大変な基準とは一体何なんだと。

自分で決めてしまっているだけだと気づきました。

苦労とか失敗も同じ。

だったら、その基準を上げればいいと考え、失敗とはこの会社をなくしてしまうこと、それ以外は成長の過程であって失敗に当たらない。

そう決めました。

嫌ならやめてしまえばいいところを「てめえ、この野郎」と大げんかしながらも、社員は一緒に働いてくれている。

それは、なぜか。

彼らは本当に会社をよくしたいと思っているから、ぶつかってきてくれるんだ。

他の人にはできない経験をたくさんさせてもらって、諏訪貴子さんはなんて幸せなんだと全部切り替えることができました。

だから、諏訪貴子さんは逆境が大好きです。

逆境を成長のチャンスと捉えています。

(引用:『致知』1月号より)

諏訪貴子さんの「失敗とはこの会社をなくしてしまうこと、それ以外は成長の過程であって失敗に当たらない。」という言葉は、アメリカの発明家トーマス・エジソンの「私は失敗したことがない。ただ、1万通りの、うまく行かない方法を見つけただけだ。」という言葉に通じるものだと思います。