テレビショッピングで一世を風靡したジャパネットタカタの創業者高田明さんは、特段大きな夢や志があったわけではなく、ごく普通の生活を送っていました。

ただ一つ言えるのは、目の前のことに一所懸命打ち込んできたということです。

学生時代は英語の勉強に熱中し、所属していた英語研究クラブの仲間以外には一人も友達がいないほど浸りきっていました。

そこで身につけた英語力を生かして、就職した会社では8か月のヨーロッパ駐在を経験しました。

25歳で故郷の平戸に戻り、家業の写真店を手伝うようになってからは写真の虜(とりこ)になり、夜通し仕事をしたこともしょっちゅう。

結婚しても新婚旅行に行く時間すらなかなかつくれませんでした。

それほど真剣に一つのことに向き合い、走り続けてきました。

とはいえ、大いに酒も飲み、パチンコやマージャンも時折やりました。

ゆえに、仕事も遊びも常に全力でやる。

中途半端が一番よくない。

これが経験から得た高田さんの実感だそうです。



高田さんが家業の写真店を手伝い始めた頃は、観光旅行が盛んで、カメラが白黒からカラーに移行し始めたこともあり、平戸の街も観光客が押し寄せ、次々とホテルが建設されていました。

そのため、家業の写真店も目の回るような忙しさでした。

高田さんは全くの素人でしたが、仕事を手伝い始めると、すぐに写真の道にのめりこんでいきました。

カメラの販売、フィルムの回収、取次店の新規開拓営業など、できることは何でもやりました。

とりわけ面白かったのが観光写真の仕事です。

これは団体旅行の写真添乗員として、スナップ写真や集合写真を撮影し、現像した写真を販売するというものです。

どの写真が何枚売れるか事前に把握できませんし、顧客の属性によって売れ行きは変わってきますが、少なくともきれいな写真を撮らなければ買ってくれません。

そこで高田さんは、お客さんが興味のある話題を探っては声をかけ、表情のいい写真を撮るように心がけました。

また、スピードが勝負と捉え、できる限り早く現像してお客さんに見てもらうことに腐心(ふしん)しました。

400~500名の団体旅行で雲仙に行った時は、夜遅くまで宴会場で写真を撮り、そこから大急ぎで車を走らせ、深夜12時ころのフェリーに乗って平戸に帰ります。

その後、3時間ほどかけて現像し、4時過ぎのフェリーでまた雲仙に戻り、朝6時~7時の朝食時に間に合うように写真を並べて販売しました。

そうやって一所懸命努力することで、高田さんの奥さんや社員が仲間となって進んで協力してくれるようになり、27歳で松浦市に、30歳で佐世保市に店舗を展開し、年商2億5千万円の規模に成長を遂げることができました。

目の前に現れる一つひとつのミッションをクリアしていく中で、37歳で独立、41歳の時にラジオショッピングとの出逢いがあり、全国ネットワークができ、テレビショッピングへと発展していったのです。



高田さんはこれまでの人生を振り返って「人間に不可能はない」と言います。

不可能と思うのは全力を尽くしていないからではないでしょうか。

プロセスを重視し、その瞬間その瞬間で100%の力を出し切り、諦めずに追及し続ければ、全てが可能になる。

そう信じて、今日まで取り組んできました。

もう一つ、高田さんが若い人に伝えたいのは、「意識の中に生きる」ことの大切さです。

ただ漠然と何も考えずに無意識に生きるのではなく、20代で何をすべきか、20代をどう過ごしたらいいのか、という意識の中で日々生きていく。

そのことに気づくか気づかないか。

いつの時点で気づくか。

気づいたら、どれだけそういう意識をもって、一所懸命やれるか。

その差はいますぐにはわからないかもしれません。

しかし、年齢を重ねるとともに、その差は大きくなり、人生の満足度、幸福度という形で如実に現れてくるのです。

近年、ワークライフバランスという言葉をよく耳にします。

確かに仕事と私生活の調和を図るのは大切なことでしょう。

仕事は会社の中だけで行い、家に帰ったら私生活を楽しみ、仕事のことは全部忘れる、というふうに仕事と私生活を切り離す考え方が広まっているようですが、そうばかりでもないと思います。

仕事と私生活は繋がっているものであり、仕事に対するアンテナを持ちながら私生活を楽しむところに、自己を成長させる、仕事を発展させるヒントがあるからです。

肩ひじ張らずに気楽でいながらも、見るもの聞くものすべてを自分の糧(かて)にする。

そういう意識や視点をもつことが、人生をよき方向に変えていく要諦なのだと思います。

(引用:『致知』9月号より)