お金は稼ぐこと以上に、使うことが難しいのです。

お金を稼ぐためには、他人に喜んでもらったり、他人の役に立つことによりその対価としてお金を払ってもらいます。

同じように、お金を使う時も、自分の欲望を満たすのではなく、他人に喜んでもらう、他人のためになる使い方をすることで、お金が巡り巡って自分のところに戻ってくるからです。

「お金は天下の回り物」とは、そういうことだと思います。

お金を自分の欲望を満たすためだけに使ってしまうと、そのお金は2度と自分のところには戻ってきません。

また、お金を使わずにため込んでしまうと、お金を腐らせてしまうことになると思います。

お金は使ってこそ活きるものであり、ため込むものではないからです。

そうはいっても、当面の生活費や老後に備えとして、ある程度の貯金しておく必要はあります。

ある程度の貯金をしたら、あとはお金を世のため、人のために使うことで、人を元気づけ、世の中を明るくさせることで、結果としてそのお金が巡り巡って自分のところに戻ってくるようにすれば幸せな生活を送れるのではないでしょうか。

お金を活かすも殺すも、自分の心の持ちよう次第ということです。

邱(きゅう)永漢という「お金の神様」と言われた人は、お金というものは儲けただけではまだ半成品で、使って初めて完成品になると言っています。

たいていの人はお金儲けが難しいこともあって、半成品にしただけで終わってしまうそうです。

お金持ちの人は、お金儲けの難しさが身に染みているので、節約の気持ちが先立ってしまうのです。

だから、お金儲けには熱心でも、お金を使うことは下手な人が多いのです。

お金儲けも難しいですが、お金を使うことはもっと難しいのです。

また、お金を所有するにも、器の大きさというものがあります。

お金を稼ぐ才能を持った人というのは、その器が大きい人で、そういう人のところには自然にお金が集まります。

中には、あまり努力をしないで、宝くじに当たるとか、競馬で大穴を当てるなど、偶然のことで大金を手にする人もいます。

しかし、運よく大金を手にしても、それを長い間自分のところに留めておく事ができる人と、できない人がいます。

これもその人のお金の器の大きさによります。

器が小さな人は大金が入ってきてもあっという間にあふれてなくなってしまいます。

このお金の器の大小はその人の人格には関係ありません。

お金の器が大きくても人間として品性に欠ける人もいるし、器が小さくても人間的に立派な人はいくらでもいます。