「島守の神」として沖縄の人々から敬慕される戦前最後の沖縄県知事、島田叡(あきら)。

島田は沖縄線直前の昭和20年1月に43歳で沖縄に赴任し、文官にもかかわらず、県民と運命を共にして自決した人です。

これから沖縄が戦場になるということで、現職の知事が職務を放棄したため、急遽後任を決めることになりました。

ところが、「死にたくない」と皆断ります。

最後に、当時大阪府の内政部長をしていた島田にお鉢が回ってきますが、島田は「私が行かないなら、誰かが行かなければならない。自分は死にたくないから、他の誰かが行って死ねとは言えない」と、知事を引き受けます。

沖縄県知事として赴任した島田は、犠牲を少なくするため、沖縄本土にいた約49万人のうち、22万人の人々をわずか2か月で疎開させます。

結果的に、沖縄では約10万人の県民が亡くなりましたが、島田の努力がなければ犠牲者は2倍にも3倍にもなっただろうと言われています。

そして、アメリカ軍との戦闘が始まると、本土から来ていた民間人の避難も始まりました。

その時に、親しかった新聞社の支局長が訪ねてきて「知事は軍人ではないのだから、沖縄県民と最期を共にしなくてもよいのではないか」と言います。

しかし島田は次のように答えます。

「知事として私は生きて帰れると思うかね。

県民がどれだけ死んだか知っているだろう。

私ほど県民の力になれなかった知事はいない」

そして、島田は沖縄に残り、自決して県民と最期を共にしました。

沖縄の人達は、いまも島田を尊敬し続けています。

高校野球県大会で優勝した学校に贈られるトロフィーを「島田杯」というそうです。

(参照:『致知』4月号より)

世の中には、それほど有名ではなくても立派な人がいたんですね。

今の役人、政治家に同じことができる人がどれだけいるのでしょうか。