桃太郎便で知られる丸和運輸機関社長の和佐見勝氏は1代で一部上場を果たしましたが、そこに至るまでには多くの苦難を経験しています。

和佐見社長が小学校に入学する前から、お母さんが結核で入院していました。

当時はまだ特効薬もなく、病院にお見舞いに行きたくても、隔離されていてなかなか会うことができませんでした。

ようやく面会が許され久しぶりに見た母親の手がすごく痩せて小さくなっていました。

和佐見社長はそれがとてもショックで、病院の帰り道に決意しました。

「早く世に出て母親の病気を治そう」と。

それで中学の頃から青果市場でバイトをはじめ、20歳までに自分の店を持とうと志し、15歳で働き始めました。

その後、特効薬が出回り始めたおかげで和佐見社長のお母さんは徐々に回復していくのですが、和佐見社長は15歳で八百屋の修行に出てからは、朝早くから夜遅くまで必死になって働きました。

19歳で最初の店を出すことができて、店は鮮度を重視した戦略で繁盛し、二店舗目までは順調にいったのですが、24歳の時に押してはならない判を押してしまったことですべてを失ってしまいます。



手元に残ったのは莫大な借金とトラック1台だけでした。

結局、そのトラック1台が、運送業界に飛び込むきっかけになりました。

当時のお金で建売住宅が10棟買えるくらいの借金を抱え、銀行からは待ったなしで返済を迫られました。

判を押したのは和佐見社長でしたから、その責任を果たすために必死でした。

八百屋ならどれくらいで返済できるか計算できましたが、運送業は初めての世界だけに、どれくらい稼げてどれだけ利益が出るかもわかりませんでした。

しかも最初の2か月はまるで仕事になりませんでした。

運送業は全くの素人だったので、営業に行っても全然通用しません。

特に最初は業界に関する基本的なことすら知らなかったので、「おまえ、そんなことも知らなくて、よく荷物を運ばせてくれなんて営業に来るな」と随分と叱られました。

それでも、和佐見社長は諦めませんでした。

和佐見社長の体の中には、「逃げない、諦めない、負けない」という3つが血液のように流れているのです。

お客さんにいくら断られても、時間がある時に雑巾とバケツを持って会社を訪問しては、掃き掃除や便所掃除をする。

そういうことを続けていくうちに、仕事をもらえるようになりました。

最初の1、2年は1日も休みませんでした。

返済が待ったなしの状況で、休んでる暇はありませんでした。

そのうちに返済と並行して、トラックを10台、20台、30台と少しずつ増やしていきました。

新車は買えないので全部中古でした。

働く人の給料は相場の2倍払う代わりに3倍働いてもらいました。

当時は無名で、はたからみればどんな会社かわからないので、それくらい払わないと、いくら人が欲しくても誰も来てくれなかったのです。

借金のほうは、だいたい3年で返済しましたが、トラックが50台くらいになるまでは、プレハブだった会社の2階に寝泊まりして、お風呂は自分でドラム缶を加工して入っていました。

その頃は、和佐見社長も20代で働きに来る人も八割がたは同年代でした。

全員が必死に働きました。

今も創業の精神は、「必死の精神」を掲げていますが、やはり「何事もやればできる」の精神が根本です。

当時学んだことの一つに「商売は感謝と畏れを知れ」ということがあります。

お客様に対して仕事をいただいて感謝する。

その感謝の気持ちが本当でなければ、明日から来なくていいよ、となってしまう。

これが畏れです。

ですからその恐れの心を忘れることなく、お客様には感謝の心をもって徹底的に尽くすことで、次の仕事をいただいていく。

仕事の報酬は仕事です。

いい仕事をすれば、次の仕事が来る。

ただし、いい仕事というのは、自分が頑張っていますというレベルじゃダメです。

あくまで、お客様から頑張ってくれてありがとう、と言われるくらいの仕事をしないとダメなんです。



和佐見社長は若いころから体力には自信がありましたが、病のために再起不能と言われた時期がありました。

きっかけは42歳の時の胃潰瘍でした。

手術は無事に終わり術後の経過もよかったので、医師からリハビリのために歩くことを勧められ、和佐見社長が一所懸命歩いたところ、抜歯したところがはがれてしまいました。

既に流動食を口にしていたので、胃の中の物と一緒に菌も全身に回ってしまい、一気に危ない状態に陥ってしまったのです。

病院から帰れない場合のことも考えて、これだけは残そうという気持ちで、それまで仕事に関して言葉にしてきたことを全て文章にしていきました。

すると、不思議なことが起り、すべてを書き上げた翌日の朝に目が覚めたら、体が軽くなっていました。

熱を測ってもらうとすっかり平熱に戻っていたのです。

和佐見社長が入院中に書いた内容は次のようなことでした。

仕事いうのは徳積みで、人知れず徳を積んでいくことが大事。

常に誠を尽くして労(いらわ)りの心をもって人に接することが、人間としての基本である。

(参照:『致知』10月号)