「日本一裁判をしない弁護士」と呼ばれる三谷淳氏が弁護士を目指したのは、特段大きな夢や志があったからではありません。

母親が倹約家だったため、自分で自由に使えるお金が欲しいという単純な理由に加え、中高時代に芸術やスポーツでは人にかなわないと痛感し、学力で勝負しようと決めたのです。

司法試験の受験資格が大学3年生からだと知ると、そこに焦点を定めて逆算し、1日13時間、猛勉強しました。

当時の合格率は2%でしたが、目標通り合格しました。

卒業後は大手法律弁護士事務所に入りましたが、当時の三谷弁護士は先生と呼ばれ天狗(てんぐ)になり、常に自信過剰でした。

僅かな時間で成果を出し、夜な夜な遊び翌朝ゆっくり出社するなど、自由奔放に働いていました。

一方で、自分が本気を出していないことを誰よりも自覚していました。

このままぬるま湯に浸かっていてはだめだと危機感を抱き、自ら厳しい環境に身を投じるため、30歳の時に独立を決意しました。

能力に溺(おぼ)れていた三谷弁護士は、独立してからも殿様商売を続けていました。

時間を守らない、電話の折り返しをしないなどは日常茶飯事でした。

それでいて、「なぜ売り上げが伸びないのか」「なぜスタッフやお客さんから評価されないのか」、そんな不平不満を抱いて、悶々としていたのです。

転機が訪れたのは2011年、35歳の時に稲盛和夫氏が主宰する盛和塾に入会したことでした。

きっかけは東日本大震災で、いままで当たり前だったことが一瞬にして崩れ去る恐ろしさを痛感し、以前から関心のあった盛和塾に、飛び込みで、震災の翌月に入塾しました。

年1回開催される盛和塾世界大会で経営者の発表を聞いた時には、こんなにも世の為、人の為に命を懸けて真摯に経営に打ち込む人がいるのかと衝撃を受けるとともに、自分の仕事の在り方を猛反省しました。

その後、稲盛氏のフィロソフィを勉強する過程で、いかに謙虚さが足りないのか、そしてこれまで他人のせいにしていたことがすべて自分のせいだったと気づかされました。



そう意識が変わると、自然と人に対する感謝が沸き起こり、周りからも評価されるようになるなど、好循環が生まれたのです。

仕事の姿勢も180度変わり、自分の売り上げよりもお客様の真の幸せを追求するようになりました。

顧問弁護士として経営者のお役に立つと決めた以上は、経営を伸ばすことが最終目的ですので、仕事の7割以上は法律以外のことです。

ですので、弁護士でありながら、「三谷と出会って業績が伸びた」と感謝されること以上の喜びはありません。

これまでの人生を振り返り、稲盛氏の教えに邂逅(かいこう)できたことが人生の転機だったことは間違いないと三谷弁護士は述べています。

中でも「自利・利他」という教えは特に大切しています。

当初は真意を理解できていませんでしたが、損得を超えて行動し、物心両面で利益が返ってくる体験を一つ、二つと重ねるうちに、この言葉を腹に落とし込むことができました。

例えば、ある業界団体の顧問をほぼ無償で務めていると、会長がその姿勢を見ていてくれて、著書を出版した折には、数百冊まとめて購入してくれました。

最後に、三谷弁護士は次のように述べています。

トップの「言っていること」も大事ですが、それ以上に「やていること」こそが重要です。

私自身がどれだけ日々心掛け、実践する姿勢を見せているか。

そして、自分の仕事を通じて何人の人を幸せにできているか。

このチャレンジの連続が私の人生だと思っています。

(引用:『致知』10月号)

三谷弁護士のお話は、行動することの大切さや「利他」の精神で生きることの大切さを教えてくれます。