心こそ 心迷わす 心なれ」という言葉があります。

この言葉は、江戸時代に、沢庵(たくあん)禅師が将軍指南役の柳生但馬の守(やぎゅうたじまのかみ)に与えた『不動智神妙録』の中にある「心こそ 心迷わす 心なれ 心に心 心許すな」という歌の一部です。

心ほど、自分でコントロールするのが難しいものはないのではないでしょうか。

禅僧などが修行するのも、究極の目的は自分の心を常に平静に保つことができるようためだと思います。

心には様々な思いが浮かんできます。

善き思いが浮かんでくればよいのですが、善くない思いが浮かぶことの方が多いと思います。

他人に対する不適切な発言に対して、何であんなことを言ってしまったんだろうという後悔の念。

他人を傷つける言動、うぬぼれた言動、不遜な言動等々、数え上げたらきりがありません。

また、まだ起こってもいないことに対しての漠然とした不安。

会議の発表で、うまく発表できなかったらどうしよう。

仕事がうまくいかなかったらどうしよう。

現実に起こっていないことに不安をいだいても、何の意味もないのですが。

心には次から次へと将来への漠然とした不安の念が浮かんできます。



このような時の対処の仕方として、どうすればよいのでしょう。

そのような思いが浮かんできたときには、それに囚われないようにすることです。

何事にも囚(とら)われずに生きる」の中でも触れましたが、中村天風は新幹線から眺める車窓の景色に例えて説明しています。

新幹線から眺める景色は、自分で特定の建物などに注意を向けない限り、前方から後方にただ流れていきます。

心に浮かぶ様々な思いも、自分で注意を向けなければ(囚われなければ)、そのまま過ぎ去っていくのです。

ところが、人間はその思いに囚われてしまって、後悔の念で悶え苦しみ、将来への取り越し苦労に恐れおののいてしまうのです。

はじめのうちは難しいですが、訓練することにより、思いに囚われないということができるようになります。

そうすると、善くない思いが浮かんでも囚われないので、心は平静を保つことができます。

このような思いが浮かんでこないように、すなわち封じ込めようと努力したこともありますが、なかなか難しいと思います。

封じ込めようとするのではなく、浮かんできたものをやり過ごす(囚われない)というほうが対処しやすいと思います。

そして、様々な思いに囚われなくなると、少しづつ善くない思いも浮かんでくることが少なくなります。

心の平静を常に保つことができるようになれば、より善く生きていくことができます。