中国の歴史書である『資治通鑑』の中で、編者の司馬光が春秋時代に韓・魏・趙という国の連合軍が晋の智伯が率いる軍勢を破り、智伯を殺し一族を滅ぼすという出来事について、述べている有名な言葉があります。

智伯が亡びたのは、その才が徳に勝っていたからである。

そもそも、才と徳とは異なっていて区別されるべきものであるが、世俗では、この両者を見分けることができずに一括して賢といっているが、それが人物を見損なう理由なのである。

聡明で意志の強いことを才といい、正直で中庸(ちゅうよう)を得ていることを徳というのである。

才は徳の資材であり、徳は才を統帥(とうすい)するものといえる。

才、徳ともに完全に備えている者を聖人といい、才と徳とどちらも欠けている者を愚人といい、徳が才に勝っている者を君子といい、才が特に勝っている者を小人という。

人を任用する方法は、もし仮に聖人・君子を得て任用できない場合には、小人を用いるより、むしろ愚人を用いたほうがよい

(参照:『致知』2017年6月号

才能は豊かですが徳の無い人は、自信過剰、驕り、自惚れなどが強く鼻持ちならないということです。

スポーツ界でも名選手が必ずしも名監督にならないのは、才能が豊かでも徳が足りない人は監督として成功しないということではないかと思います。

選手時代は無名でも名監督と呼ばれるような人は、徳を身につけている人だと思います。