幸田露伴が明治時代に著した「努力論」。

努力論には、人生の明暗、幸不幸をいろんな角度から検討し、どうやったら明るく生きられるかが論じられていて、現代でも参考になることが数多く書かれています。

幸田露伴は、不健康な人が健康になるにはどうすればよいのかを次のように述べています。

人は健康でないと人生が暗くなることから、健康になるために努力します。

健康になるには、自分の肉体について反省し、不健康の原因を取り除かなければなりません。

そのために努力します。

食べ過ぎで胃が弱っているなら、過食を止めなければなりません。

食事を制限するのです。

過食を止めずに、過食でも運動を多くすればいいだろうと考えるのは良くないことです。

雑草を抜かずに肥料さえ多く与えれば種が成長するだろうというような理屈は、理屈としては成り立つとしても本来のやり方ではありません。

従来と同様の行動、習慣を続ければ、従来と同様の肉体的状況すなわち胃弱のままになることは、当然のことです。

従来と異なった肉体的状況すなわち胃弱を解消したいなら、従来の過食という習慣を断ち切るがよい。

従来と反対の結果を得たければ、従来と反対の原因を撒(ま)くがよい。

過食をして胃が弱り、薬に力を借りて胃を治しては、また過食をして胃が弱りつつ、自分の胃の弱いことを嘆き悲しむ人が多い。

昨日までの過食な自分を切り捨てれば、明日の自分に胃病はないのである。

過食と胃腸薬とは雑草同士の絡み合いなのである。

二者共に放棄すれば、健康体は自然と得られるのである。

胃病を嘆いている人々を観ると、多くは過食家か乱食家か、間食家か、大酒家か、異食家で、そして自分の真の病原たる悪習慣に対して賢く弁護することは、雑草を抜かずとも雑草が吸収するよりなお多くの肥料を与えたら種の生育に差し支えなかろうというような理屈である。

いやしくも自ら変わろうとする者は、昨日の自分に媚(こ)びてはならない。

一刀のもとに賊を切ってしまわなければならないのである。

何をするにも差し当たって健康は保ち得るようにしなければ、一切が瓦解(がかい)する恐れがあるから、従来の不健康から発奮して賊を斬るのが何より大切だ。

新しくしようと思うところの、古いものは未練なく退けてしまわなければないないのである。

(参照:努力論 (岩波文庫)