幸田露伴は「努力論」の中で、平凡な人でも一事をなす方法を次のように述べています。

盆栽は好むが他のものは好まない。

盆栽でも草の種類はたくさんあるが、自分は草ではなく木を愛する。

また木にもいろいろあるが自分はざくろ(柘榴)を愛する。

その代わり、ざくろに関しては誰よりも深く観察し、ざくろに関する知識と栽培経験を誰よりも深く持ち、誰よりも善いものを育てようとする人がいます。

些細な事ですが、ざくろにおいては天下一になろうと志を立てます。

その人がもし他の娯楽に心を移してしまうなら善い結果は得られませんが、最初に立てた志を変えなければ第一人者になることはできないまでも、ざくろにおいては平凡な地位に終わることはありません。

ざくろの盆栽作りにおいては他人が及ばないほどの高度の手腕を、その人は持つに至るのです。

それは、最も高いところに志を置いた結果で、凡庸の人でもニッチな分野で最も高いところを目指すならば、その人は比較的成功しやすいのです。

ある人がミミズの生殖作用を研究して、専門家に利益を与えたということが、新聞に載っていました。

これはとても興味のある事例で、ミミズのようなつまらないものにしても、その狭い範囲に長年の間、時間と労力を費やせば、その人は卓越した動物学者でもないにもかかわらず、卓越した学者にすら利益を与えることができ、長い間の経験の結果は世の学界に寄与貢献したということになったのです。

比較的ニッチな分野で志を立てて、最も高いところを目指すならば、平凡な人でも世の中に対して大きな貢献をすることができるであろう。

何をしてもよい。

一生りんごを作っても、お箸を作って暮らしても差し支えない。

何によらず、そのことが最善に到達したなら、その人も幸福であるし、また世の中にもいくばくかの貢献をすることになります。

(参照:努力論 (岩波文庫)

大手が進出してこないニッチな分野で成功を収めるという方法は、いまでも通用する考え方です。

仕事だけでなく、趣味などにおいても誰も取り組まないようなニッチな分野で研究、研鑽を続ければその分野で一流になれるということです。