ある女性がいます。

この女性には、生まれつき知的障害のあるお子さんがいます。

その子が生まれたばかりの頃、親戚から「うちにはそのような血統はないのだから、あなたの家系にあるんでしょ」とか、「妊娠中のあなたの生活が悪かったのよ」など、多くのつらい言葉を浴びせられました。

この女性の唯一の願いは、息子が少しでも一人前に近づき、税金を納められるだけの力をつけて自立してくれることでした。

周囲の冷ややかな視線や言葉に押しつぶされそうになりながらも、彼女は息子の成長のために力を尽くしました。

いいお医者さんがいると聞けば、どんなに遠くても連れていき、勉強も教えました。

しかし、いくら頑張ってみても、目に見えるだけの効果はなかなか現れませんでした。

努力して治療や教育を続ければ必ず幸せへの道は開けてくる、そのためには何としてもこの子を変えなくては、という一念でした。

息子が14、5歳になった頃でした。

その日も、彼女は息子を病院に連れて行きました。

名医がいるとのうわさを聞き、遠くまで足を運んだのです。

しかし、一縷(いちる)の望みを託して診察を受けてみたものの、やはり結果は同じでした。

治療費ばかりが膨らむ一方で、全く効果が見えない現実に落胆し、精神的、肉体的にもどん底の状態でした。

重い足取りで家路につき、玄関のドアを開け、畳の上にへたへたと座り込んだ時のことです。

息子が「お母さん」と声をかけ、ニコッと笑いながらコップ一杯の水を差しだしてくれました。

彼女が目を覚まされたのはこの瞬間でした。

「自分は今まで何をやっていたのだろう。この子さえ変わってくれたら幸せになれると思っていたのに、幸せはいま、ここに既にあったとは・・・

息子の純粋な笑顔と行為を通して、そう強く気づかされました。

落ち込んでいた自分にコップ一杯の水でやさしく勇気づけてくれる息子がいつもそばにいてくれる。

それまで全く気が付かなかった幸せを初めてしみじみと味わいました。

この気づきは彼女を大きく変えました。

それまで気になって仕方がなかった親戚や周囲の言葉や目線も冷静に受け止められるようになり、息子を通して自分自身が大きく成長した喜びも実感できるようになりました。

それにも増して、息子が生きていてくれることへの深い感謝の思いがこみ上げてきました。

遠くにある幸せを求めては挫折して落ち込み、また追い求めては悲しみに涙する。そのことを何度繰り返してきたことでしょう。しかし、誰もが考えられないほどの多くの涙を流さなかったら、息子のありのままの生き方を受け入れることはできませんでした。いまの私があるのは、息子のおかげです。息子の親であることに心から幸せを感じます。

(引用:人間学を学ぶ月刊誌『致知』2017年1月号より)