今では、どこの町でも見かける「公文(KUMON)」の看板。

公文式の学習法が生まれたきっかけは、親の愛情からでした。

ある日、小学2年生だった公文毅(たけし)少年のポケットから1枚の答案用紙が出てきました。

算数は得意なほうだと思っていただけに、わが子の点数があまり良くなかったことを心配した母親は、高校の教師をしていた夫・公文公(とおる)氏に相談しました。

人から教わるのではなく、自分の力で解き進むことによってこそ本物の学力が身につく。

このことを自らの教育体験によって実感していた公文氏は、わが子のために自学自習形式で学べる教材を作ります。

毅少年は父親の手書きの教材によって、毎日30分の自習でみるみる力をつけ、小学6年生の夏には微分・積分を学習できるまでになりました。

我が子の目覚ましい成長を目の当たりにした公文氏は、いつしか一つの願いを抱くようになります。

この方法で、1人でも多くの子どもたちの可能性を伸ばしてあげたい。

1958年、大阪に事務所を開設しました。

以来、この教育法は「公文式」と名付けられ、人か人へ、街から街へ、そして現在は世界50の国と地域まで広がりました。

公文氏の世の為、人の為という強い思いが結実したのです。