ある男性がいました。

一流大学を出て、人がうらやむような有名企業に就職しました。

しかし、傍目(はため)の華やかさとは大違いで、職場内は競争に次ぐ競争。

同期たちは誰よりも早くいい地位に就こう、と業績を挙げ、上司に認められることに血眼(ちまなこ)になっていました。

この男性もまた、地位や給料が上がりさえすれば「幸せ」を手に入れられると思って、自分の競争意識を煽(あお)り立てていました。

そして、課長から次長、部長へとだんだんと昇格して、名刺を出せば周囲から尊敬の眼差(まなざ)しで見られるような立場になりました。

若いころから追い求めていた「幸せ」に大きく近づいていたはずでした。

ところが、理想のポジションを得ても、少しの安心感も満足感も得られず、それよりも責任と重圧、焦りの気持ちばかりが高まっていったというのです。

退職して年月が経ったいま、当時を振り返りながら、「あの頃は本当に空(むな)しい毎日でした。努力をすればするほど涙することが多くなるのですから」としみじみと話していました。

そして「いまでは、どうすれば幸せを勝ち取れるかとは全く考えなくなりました。むしろ、心を荒げて忙しそうに走り回っているビジネスマンを目にすると、かつての自分もそうだったと心から同情し、その人の本当の幸せを祈らずにはいられない気持ちになります。」と付け加えました。

彼にとってのいまの喜びは健康でいられること、本音で語り合える仲間がいることなど、どれも些細なことばかりです。

名誉や肩書を求めていた頃は、「どこに行っても」手にはいらなかった幸せが、「いま、ここ」に目を向けるようになったいま、ようやく感じられるようになったと言います。

(引用:人間学を学ぶ月刊誌『致知』2017年1月号より)