「命のビザ」を発給し、迫害された多くのユダヤ人難民を救った外交官・杉原千畝(ちうね)より少し前に、一説に2万人ともいわれるユダヤ人難民を救った日本人がいました。

陸軍中将の樋口季一郎という方です。

昭和13年3月、樋口中将が満州国に駐留していた関東軍のハルビン特務機関長を務めていた時のことです。

満州国と国境を接するソ連のオトポール駅で、ナチス・ドイツの迫害から逃れてきたユダヤ人難民たちが、満州国に入国できず立ち往生しているという情報が入ってきました。

樋口中将はユダヤ人難民を助けることを決断し、南満州鉄道の松岡洋右(ようすけ)総裁に特別列車の運行を要請します。

事態の深刻さを理解した松岡総裁も快諾し、13本の特別列車ですべてのユダヤ人難民をハルビンまで送り届けました。

その後、ドイツ政府からユダヤ人を救出したことに対して抗議がくると、関東軍司令部は樋口中将を呼び出します。

樋口中将は「ドイツは同盟国であり、私も日独の友好を望んでいます。しかし、そのやり方がユダヤ人を死に追いやるものであるなら、それは人道上の敵です。日本はドイツの属国ではありません」と答えます。

そのため日本政府は当然なる人道上の配慮によって行ったものだと抗議を一蹴したのです。

また、樋口中将は「占守(しゅむしゅ)島の戦い」によって、日本が朝鮮半島のように分断国家になることを防いだとも言われています。

第二次世界大戦が終戦を迎えた8月15日。

日本は武装解除し降伏するだけという状況の中、日ソ中立条約を破棄して宣戦布告していたソ連が、突如としてカムチャッカ半島から千島列島に侵入し攻撃してきました。

スターリンは北海道まで占領しようとしていたと言われています。

当時、北方の最高責任者であった北部司令官の樋口中将は、千島列島の最北端に位置する占守島でソ連軍に反撃することを決断します。

占守島の守備隊は激戦を繰り広げ、ソ連軍を撃退します。

結局、日本政府の指令で抵抗をやめざるをえなくなりましたが、ソ連軍が千島列島の最初の1歩でつまづいたことで北海道を占領するというスターリンの野望も潰(つい)えました。

ソ連軍が国後島あたりまで来た頃には、すでにアメリカ軍が北海道に進駐していたからです。

樋口中将が占守島で抗戦していなければ、北海道はソ連領になり、日本は朝鮮半島のように分断された国家になっていたかもしれませんでした。

(参照:『致知』4月号より)

あまり知られていませんが、多くのユダヤ人難民を救い、日本を分断国家になる危機から救った樋口中将という方の偉業は、ぜひ日本人の心に留めておきたいものです。