福祉工房あいちの理事長加藤源重(げんじゅう)さんは、三河のエジソンと呼ばれています。

加藤さんは、鍛冶屋の家に生まれ、中学校卒業と同時に旋盤工見習いとして工場で働き始め、以来一貫して旋盤や溶接の技術を磨きあげてきました。

そんな加藤さんが56歳の時に事故に遭います。

機械の修理中に右手が機械に引き込まれて、五本の指すべてを失ってしまったのです。

命に別状はなかったものの、途切れることなく襲ってくる痛みの為、三日三晩はろくに眠ることさえできませんでした。

退院後、さらに加藤さんを苦しめたのが、何をするにも左手を頼りにするしかないという現実でした。

食事をする際の不自由さはいかんともしがたく、せめてもう一度右手で箸をもって食事をいしたい、という思いが日を追うごとに強くなってきました。

加藤さんは僅かに残された親指の付け根の動きを利用して、自分で箸が使える自助具をつくれないかと考えました。

そして、自助具の図面を作り上げた加藤さんは、義手メーカーを訪ねますが、「指の無い手で箸を持つなんて無理に決まっている」と断られてしまいます。

ここまで来たら自分で作るしかない。

そう心に決めたのは、今度こそはと訪ねた4軒目で断れた帰り道のことでした。

多くの人たちは障碍(しょうがい)のある加藤さんに同情してくれます。

しかし、いくら同情してもらっても、加藤さんの人生を他人が変わってくれるわけではありません

自分の人生は自分の力で歩まなければならない

加藤さんはそのことに、この時初めて気づきました。

自助具の製作を自分で始めた加藤さんですが、どんな単純な作業もうまくいかないことの連続で、手足にはあざが絶えず、時に血だらけになることもありました。

なぜもっと早くできないのか、なぜもっとうまくできないのかと、苛立ちや焦りが募ります。

五体満足であった頃の自分にすがりつき、自分が障碍を負ったという現実を素直に認めらずにいたのです。

加藤さんは何度も自分に言い聞かせます。

ありのままの自分を受け入れ、今日一日に自分ができることを精いっぱい頑張ろう

いまできることを一所懸命やろう、と。

約2年かけて自助具が完成して、再び箸で食事ができた時の喜びはえも言われぬものがありました。

それからは、加藤さんと同じように日常生活に難渋している人たちのためにと、様々な自助具の製造に乗り出します。

加藤さんの作る自助具は電気を使わない簡単な構造のため長持ちするとの評判が広まり、各地から注文が舞い込むようになるのです。

今日に至るまで数百名の注文を受けましたが、どんなに難しい注文でも一度も断ることなくすべての要望に応えてきました。

不可能はない

これが加藤さんの自助具づくりの根本姿勢であり、大切なことは「やる気、勇気、根気」の三つで、どれが欠けてもいけません。

特に焦りは諦(あきら)めのもとであり、知恵を絞って根気よく一歩また一歩と前進していけば、必ずゴールは見えてくるものです。

既に80歳を越えた加藤さんは、ご自分の人生を振り返り、次のように述べています。

障碍を持ったことで私の人生は一変しました。

もし、私が健常者のままだったら、おそらくただ漫然と年を重ねるだけの人生だったことでしょう。

幸いにも、私は事故を通して、障碍のある人たちの痛みや苦しみを理解することができるようになりました。

また、人の喜びが自分を幸せにしてくれることを知ったのです。

人に対して優しくなれたこと、そして生かされていることへの感謝の気持ちを持てるようになったのも、すべては事故のおかげでした。

人生で大切なことを教えてくれたこの右手は、いまでは私の一番の宝物です。

(参照:『致知』2017年7月号より)

逆境こそが私たちを成長させてくれること、そして逆境を乗り越えた時にその逆境に対して感謝の気持ちを抱くようになることを、加藤さんは教えてくれています。

私たちは、逆境を乗り越え、その逆境に感謝の気持ちを抱けるようになってはじめて、真の意味で成長したと言えるのだと思います。