奈良県でお客様から高い評判を得ている住宅会社シバ・サンホームの柴部社長のご両親は駆け落ちをして岡山から大阪に移ってきました。

頼るところもなく、日雇いのような仕事をして何とか食べていける状況でした。

10日間何も食べずに2人で空腹に耐えた時もあったそうです。

当時の大阪はマンションや商店の建築ラッシュで、住宅メーカーは大工を募集していました。

ある社長が柴部社長のお父さんに「これでパンでも買って腹を満たして明日から現場に来てくれ」と言ってくれたので、お父さんはその恩に報いるために徹夜徹夜で働きます。

柴部社長が4歳の頃、立て続けに元請けが倒産し厳しかった家計はさらに厳しくなり、柴部社長の家族は2年ほど現場敷地の中に建てられた仮設のプレハブ小屋で、他の職人の家族と一緒に寝泊まりしていました。

柴部社長は「なんで僕たちには家がないんだろう」と思う一方で、他人の家を一生懸命つくる父親が格好良く見えました。

その頃から家族みんなが仲良く暮らせる温かい家をつくりたいと思うようになったのです。

柴部社長は高校を出ると工務店で4年間修業した後、その頃は人気の下請け工務店になっていた父親のもとで大工として働きました。

柴部社長の両親は、まだ暗いうちに起きて職人の為に遠方まで重たい材料や道具を運ぶといったこともしょっちゅうでした。

しかし、両親が職人にどれだけ尽くしても、職人はなかなかそれを感じ取ってくれません。

職人から愚痴ばかり聞かされているうちに柴部社長は人間不信に陥って、大工道具一式を車に積んで家出したこともありました。

柴部社長が父親の偉大さを知ったのは、親の元に帰って4年目、1995年に父親が亡くなった時でした。

個人会社の社長にすぎない父親の葬儀に、芸能人かと思うくらい多くの人が参列に詰めかけてくれたのです。

「君のお父さんには本当に世話になったよ」「亡くなったと聞いて九州から飛んできたよ」といった声をたくさん聞き、父親がどれだけ周りの人に愛されていたかを改めて思い知らされました。

そして、柴部社長は父親が亡くなてから今日まで会社をつぶさないように必死で仕事に打ち込んできましたが、家づくり業界の汚い部分もたくさん見てきましたし、倒産の危機も味わいました。

元請けが突然倒産した時はお金の回収ができず、職人に賃金すら払えませんでした。

駄々をこねる自分の子供におもちゃも買ってあげられず、辛く当たったこともあったそうです。