約3,000年以上前に地上を去った霊界からの使者シルバーバーチは、交霊会でナザレのイエスについて、次のように述べています。

ナザレのイエスは地上へ降誕した一連の預言者ないし霊的指導者の系譜の最後を飾る人物でした。

そのイエスにおいて霊の力が空前絶後の顕現をしたのでした。

イエスの誕生には何のミステリーもありません。

その死にも何のミステリーもありません。

他のすべての人間と変わらぬ一人の人間であり、大自然の法則にしたがってこの物質の世界にやってきて、そして去っていきました。

が、イエスの時代ほど霊界からのインスピレーションが地上に流入したことは前にも後にもありません。

イエスには使命がありました。

それは、当時のユダヤ教の教義や儀式や慣習、あるいは神話や伝説のがれきの下敷きとなっていた基本的な真理のいくつかを掘り起こすことでした。

そのために彼はまず自分へ注目を集めることをしました。

片腕となってくれる一団の弟子を選んだあと、持ち前の霊的能力を駆使して心霊現象を起こして見せました。

イエスは霊能者だったのです。

今日の霊能者が使っているのとまったく同じ霊的能力を駆使したのです。

彼は一度たりともそれを邪(よこしま)なことに使ったことはありませんでした。

またその心霊能力は法則通りに活用されました。

奇跡も、法則の停止も廃止も干渉もありませんでした。

心霊法則に則って演出されていたのです。

そうした現象が人々の関心を集めるようになりました。

そこでイエスは、人間が地球という惑星上で生きてきた全世紀を通じて数々の霊覚者が説いてきたのと同じ、単純で永遠に不変で基本的な霊の真理を説くことを始めたのです。

それから後のことはよく知られている通りです。

世襲と伝統を守ろうとする一派の憤怒と不快を買うことになりました。

が、ここで是非ともご注意申し上げておきたいのは、イエスに関する乏しい記録に大変な改ざんがなされていることです。

ずいぶん多くのことが書き加えられています

ですから聖書に書かれていることにはまゆつば物が多いということです。

出来すぎた話はぜんぶ割り引いて読まれて結構です。

実際とは違うのですから。

ナザレのイエスと同じ霊が、同じ存在が今なお地上に働きかけているのです。

死後いっそう開発された霊力を駆使して、愛する人類のために働いておられるのです。

イエスは神ではありません。

全生命を創造し人類にその神性を賦与した宇宙の大霊そのものではありません。

いくら立派な位であっても、本来まったく関係のない位にイエスを祭り上げることは、イエスに忠義を尽くすゆえんではありません。

父なる神の右に座しているとか、”イエス”と”大霊”とは同意義であって置き換えられるものであるなどと主張しても、イエスは少しも喜ばれません。

イエスを信仰の対象とする必要はないのです。

イエスの前にひざを折り平身低頭して仕える必要はないのです。

それよりもイエスの生涯を人間の生き方の手本として、さらにそれ以上のことをするように努力することです。

以上、大変大きな問題についてほんの概略を申し上げました。

(引用:シルバーバーチの霊訓(9)より)