ある男性がお釈迦さまの高名な噂を聞いて是非ともお目にかかりたいと旅に出ます。

まだ一度も村を出たことのないその男は、道に詳しい人たちについて出かけましたが、嵐にあってはぐれてしまいます。

幸いに羊飼いの家に泊まって、厚遇されました。

明くる日出かけようとしますが、羊たちが嵐に紛れて逃げ出してしまい、羊飼いは大変な目に遭っています。

男はすぐに仲間に追いつかねばと思うのですが、羊飼いを見捨てるわけにもゆかず、羊飼いの手伝いをして羊をすべて捕まえました。

しかし、3日が経っていました。

何とか仲間に追いつこうと旅立ちますが、途中で水をもらった農家の女性が夫に先立たれ幼い子どもを抱えて畑の刈り取りができなくて困っています。

男はその家に留まり、すべての収穫を終えるのに3週間もかかってしまいます。

もうあと少しでお釈迦さまのところにたどり着こうかという時に、老夫婦が川に流されているの発見し、男はすぐさま川に飛び込み助けて衰弱していた老夫婦をしばらく看病することになります。

こうしてあと少し、あと少しというところでいつも何かが起き、お釈迦さまと出会えぬまま、各地を転々と旅をし続け、20年という歳月が過ぎてしまいます。

お釈迦さまが涅槃に入られるという噂が流れました。

この機会を逃したら、もう2度とお釈迦さまにはお会いできないと思い、わずかな食料を携えて、お釈迦さまが涅槃に入られる地へと急ぎました。

ところが、またもやあと一息というところで、道の真ん中に一匹のケガをした鹿が倒れているのを目にしました。

誰かがついていなければ死んでしまうでしょうが、あたりには誰もいません。

そこで自分の持っていた水と食料をすべて鹿の口元に置いて立ち去ろうとしました。

しかし気が咎(とが)めて引き返し、一晩鹿の看病をしました。

夜が明けると、鹿も少し元気になってきたので、再び出発しようとしたところ、お釈迦さまはその夜に涅槃に入られたと知らされるのです。

男は地に伏して泣き崩れました。

すると、背後から声が聞こえてきます。

「もう私を探すことはない」と。

男は驚いて振り返ると、先ほどの鹿がお釈迦さまの姿になり、まばゆい光に包まれて立っていました。

そして、こう言いました。

「もしあなたが昨晩私をここに残して立ち去っていたら、きっと私には会えなかったでしょう。

あなたのこれまでの行いと共に私は常に一緒にいました。

これからも私はあなたの中にいます」

(参考;『致知』5月号)

お釈迦さまは、慈悲、愛、良心といった心そのものに在るということです。

そして、このような慈悲、愛、良心などは私たち誰もが持ち合わせているものです。

誰か困っている人を見たらとっさに助けてあげたいと思う心、電車に座っていて体の不自由な人が乗ってきたら席を譲らなければと思う心、そのような心こそがお釈迦さまそのものなのです。