「勝たせ屋」「魅せ方のプロ」と呼ばれ、2015年の統一地方選、2016年の首長選挙で手掛けた候補者を全員当選に導いた鈴鹿久美子さん。

鈴鹿さんが現在に至るまでには、大きな逆境を経験しました。

もともと弁護士になりたかった鈴鹿さんですが、その当時、女性はさっさと結婚しなさいという風潮があり、料理や裁縫などの花嫁修業やお見合いばかりさせられていました。

ある時、「法律家になりたいけど家が許してくれない」と言ったら「僕と結婚したら勉強させてあげる」という人に出逢い結婚しました。

しかし、3人の子どもに恵まれると、家事や子育ての忙しさのあまり勉強どころではなくなってしまいました。

結婚生活は6年目に破綻し、30歳を間近に控えていた鈴鹿さんは焦り、とにかく法律の勉強を始めました。

そうしたら、勉強がすごく面白かったのです。

たまたま成績もよくて、安易に「司法試験に合格して弁護士として独立したら、子どもを養っていける」と信じて、猛勉強しました。

ところが、37歳で受かるつもりで挑んだ3度目の試験に不合格となってしまいました。

バツイチでアラフォーで、仕事もなくキャリアもない。

貯金もすべて使い果たした上に、お金のかかる年頃の子どもが3人もいる。

どう生きていけばいいのかわからず茫然自失としていました。



そんなときに知り合いが選挙に出るという小さな新聞記事を見つけて、他にやることもなく何となくその事務所を訪ねました。

すると、奥から見知らぬ男性が出てきて、机を指差し「それを持って!早く!」といきなり怒鳴られ、次から次へ用事を言いつけられました。

当初はうさ晴らしのつもりで始めましたが、選挙が終わった後に、その選挙参謀の人から秘書をやらないかと声をかけられました。

仕事をもらえたことも嬉しかったのですが、当時、子どもの定期代すら腐心する状況でした。

ですから毎月決まった日にお給料をもらえることが何よりもありがたかったのです。

しかし、秘書になってからは、永田町用語がわからないなど大変でした。

毎日必死で、半年経った時には十二指腸潰瘍を2回患い、頭にはハゲが20個以上できていました。

トイレで血を吐いたこともあります。

しかし、議員に病気がばれると「じゃあ、明日から来なくていいよ」と首を切られてしまう世界ですので、必死に隠して仕事にしがみつきました。

それ以外に鈴鹿さんにできる仕事はなかったからです。

鈴鹿さんは秘書をしながら選挙で勝った人を分析するうちに、魅せ方のコツがあることがわかり、15年が経った頃にはその人を見た瞬間に勝敗を予想できるようになりました。

そして鈴鹿さんが起業したのは、秘書を辞めなければならないと思ったことがきっかけでした。

選挙期間中は2時間睡眠が当たり前になるほど忙しいのですが、ある猛暑の日に気がついたら歩きながら寝ていたことがありました。

ここで倒れたら議員だけでなく多くの人に迷惑が掛かってしまう。

それで秘書を辞めて起業する決心がつきました。

(『致知』9月号「第一線で活躍する女性」より)