比叡山の荒行「12年籠山行」
一般によく知られている千日回峰行を「動の荒行」と呼ぶのに対して、12年籠山行は「静の荒行」と呼ばれ、比叡山で最も厳しい修行の一つとされています。
12年間山に籠(こ)もるのですが、その間は1日たりとも休みはなく、毎日同じ修行をただひたすら繰り返します。
病気になっても自分の親が亡くなっても、山を下りることはありません。
これまで千日回峰行で命を落とした人は1人もいませんが、12年籠山行は少なくても1~2割の人が満行できずに途中で亡くなっています。
実際にどんなことをするかというと、伝教大師(最澄)の魂はいまも生きているとの考えから、遺体が安置されている浄土院で、あたかも伝教大師が生きているかのように、食事を供え、掃除や読経、礼拝などのお勤めをします。
朝は4時にお勤めが始まるので、3時か3時半には起きて身支度をします。
5時になると伝教大師への献膳を行います。
次に伝教大師が自ら彫ったといわれる阿弥陀仏(あみだぶつ)の供養をして、それが終わると読経(どっきょう)に移ります。
『法華経』『仁王経』『金光明経』、最後は600巻に及ぶ『大般若波羅蜜多経(だいはんにゃはらみったきょう)』を1日1巻ずつ唱え、国家安泰を祈祷(きとう)します。
10時に昼の献膳があり、その後は境内の掃除をします。
12年籠山行は掃除地獄とも言われているように、お勤めの合間を縫ってはとにかく掃除をします。
浄土院は比叡山の中で最も清らかな聖域ですから、落ち葉1枚すら残してはいけません。
16時からは夕方のお勤めがあり、17時に閉門になります。
そこからは自分の修行の時間になります。
仏教の勉強をしたり写経をしたり座禅やお経を読んで、21時か22時までに就寝します。
12年籠山行に入っているお坊さんを侍真(じしん)といいますが、侍真の資格を得るにはまず好相行(こうそうぎょう)という行を満行しなければなりません。
好相行は浄土院の拝殿の奥の間で『仏名経(ぶつみょうきょう)』に記載されている3千もの仏様の名前を1仏1仏唱えながら、五体投地(とうち)を行います。
五体投地とは、両肘、両膝、額の5か所を床につける、仏教で一番丁寧な礼拝の仕方です。
五体投地をして、仏様の名前を言いながら立ち上がり、合掌してまた五体投地をします。
これを3千回ひたすら繰り返します。
元気な時で15時間ほどかかります。
毎日毎日やると疲れてくるので、次第に食事とトイレと身を清める時間以外はお堂に入って、寝ないでずっとやり続けるようになります。
この好相行は好相(仏様の姿)を見るまで続きます。
不眠不臥(ふみんふが)という非常に過酷な条件です。
とは言え、疲労困憊してどうにもならなくなってきます。
その時はお堂の隅っこにある縄床(じょうしょう)という縄で編んだ狭い椅子があり、そこに腰を下ろして休みます。
絶対に横になってはいけないのです。
それでも30分くらい仮眠するのが精いっぱいで、寒さと体の痛さで自然に体が起きてしまいます。
体を温めるには礼拝するしかないのです。
三千院門跡門主の堀澤祖門(そもん)師は、3か月、約30万回でお釈迦様を見たそうです。
比叡山円龍院住職の宮本祖豊(そほう)師は、足掛け3年、100万回を超えて見ることができたそうです。
宮本住職は、どんどん瘦せ細り、首がガクッと落ちて上がらなかったり、地面につく両肘、両膝、額が割れて膿(う)んだり、目の焦点が合わなくなったり、三半規管(さんはんきかん)が狂って平衡感覚が麻痺したりしたそうです。
しまいには、声をかけられても反応できず、顔も真っ白になり、蝋人形のようになってしまったそうです。
そんなことで途中2度のドクターストップを経て、目の前に阿弥陀仏が立ったそうです。
目をつむっても目を開けてもそこに仏様が見えるのです。
宮本住職は、好相行を振り返り、次のように述べています。
好相行の最中では、どうしても自分の中にある壁を打ち破れない、もう二度と立ち上がれないくらい心身ともに疲れ果てます。
その時、一体あと何回やれば仏様が立つんだろうかと遥(はる)か先を見ていては決して続けられません。
そうではなく、もう一回だけやろうという気持ちを奮い立たせるんです。
一回だけやると、もう一回くらいできそうだなと思えてきて、それを三回繰り返すと、不思議と気力が漲(みなぎ)ってきます。
そうやって、目の前のことに全力で打ち込む。
今この一瞬をどう生きるか、そこにすべてをかけた時に初めて壁を越えられるのだと学ばせていただきました。
(参照:『致知』2017年7月号より)
今この一瞬を精いっぱい、できることをやるこことの大切さは、多くの先人が語っています。
進行性の難病を患いながらも今を精いっぱい生きる小澤綾子さんの生き様も勉強になります。