昭和天皇がマッカーサーとお会いになったのは、昭和20年9月27日のことでした。

この日の会見が実現したのは、昭和天皇ご自身が「マッカーサーに会いたい」と希望されたからでした。

敗戦直前まで、天皇陛下が公式にお召しになっていたのは、陸軍か海軍の大元帥服でしたが、会談当日、天皇がお召しになったのは古いモーニングでした。

そして、侍従ひとりだけお連れになり、空襲ですっかり焼け野原になった東京の街を見つめながら、マッカーサーに会いに行かれました。

玄関で天皇を迎えたのは、参謀と副官だけで、マッカーサーはワイシャツ姿のまま部屋で待っていました。

ひととおり、初対面のあいさつが済むと、天皇陛下はこうおっしゃいました。

「このたびの戦争の最高責任者は、このわたしです。

政治家も軍人も、みなわたしの命令によって動いただけでありますから、彼らには何の罪もありません。

そこで、本日、あなたにお目にかかり来たのは、実はお願いしたいことがあったからです。

わたしはどのような処分でも受けます。

しかし、いまの日本は大変な食糧難です。

どうか、八千万の日本国民が飢え死にしないだけの食料をご援助いただきたい。

それが私の頼みです」

このように天皇はおっしゃられて、持参した風呂敷包みをマッカーサーに差し出されました。

そこには、天皇陛下の私有財産目録が入っていました。

天皇陛下はこのとき、ご自分の命と私財を差し出し、国民の生活を守ろうとされたのです。

これにはマッカーサーも驚いて、それまで傲然(ごうぜん)と構えていた態度をいっぺんに改め、通訳に告げる言葉づかいも最上級の敬語に変わったそうです。

そして、天皇陛下がお帰りになるときは玄関までお見送りに出て、丁重にお車にお乗せしました。

どこの国でも戦争が終わったあと、敗戦国の皇帝が戦勝国の将軍に会見を申し込むのは、必ず賄賂を持ってきて、自分の罪を軽くしてくれと懇願するためです。

今回もきっとそうだと、マッカーサーは思っていたのでしょう。

ところが、日本の天皇陛下は軍人をかばい、政治家をかばい、すべての戦争責任はご自分が負うとおっしゃいました。

そして、さらに全財産を投げ出して、国民の食料に代えてほしいとまでいわれたのですから、それ以来、マッカーサーが、極力、天皇を養護しようという考えに変わったというのも十分に頷けることです。

「日本の天皇は立派な方だ。その天皇を日本からなくしてはいけない」

といって、天皇陛下が無罪になるように、ずいぶんと努力されたことと思います。

その後、マッカーサーはアメリカへ帰国しましたが、日本人と会うたびにこの時の話をよくされたそうです。

(参照:「自己を見つめる-ほんとうの自分とは何か-」山田無文)

昭和天皇の国民のことを深く気遣うお気持ちがよく伝わる話です。