日本で最も多くの受刑者を雇用している北洋建設の社長 小澤輝真さん
これまで全国から500人以上の受刑者を雇用し、その再犯率が20%以下と全国平均(48%)を大きく下回っている北洋建設の社長 小澤輝真(てるまさ)さん。
小澤さんは、中学から仲間とバンドをはじめ、音楽活動に熱中していました。
小澤さんはドラムの担当で、同時にボクシングにも興味を持って、高校ではボクシング部創設に取り組みました。
ところが、生徒会にもきちんと諮(はか)り、顧問になってくれる先生からも許可をもらって創部したにもかかわらず、急に校長先生が「ボクシングは危ないから廃部にする」と言われ、顧問の先生も「校長先生がやめろと言っているから」と言い出しました。
小澤さんが校長先生のところに行って直談判しましたが、「危険だからだめ」と認めてくれません。
小澤さんはその場で「ふざけるな」と啖呵(たんか)を切って、高校を中退します。
高校1年の10月の事でした。
その後は、バンドで食べていきたいと思い、退学を機に頭をピンクに染め、活動資金を得るために仕事探しを始めました。
頭がピンク色で花のように綺麗(きれい)だったので、最初に花屋さんの面接に行きました。
ところが、採用担当者に怒鳴(どな)られて、履歴書を破られてしまいます。
その後も企業の面接に落ち続けて、結局、親戚の紹介で製販会社に勤めることになりました。
しかし、その矢先に小澤さんのお父さんが脊髄小脳変性症(せきずいしょうのうへんせいしょう)で50歳の若さで亡くなってしまいます。
急遽、小澤さんのお母さんが社長になることになったのですが、その時に小澤さんは初めて自分が家業を継がなければと思い、北洋建設への入社を決意しました。
17歳の時です。
お母さんには自分が後を継ぐのでそれまで頑張ってほしいと伝えました。
北洋建設に入社後に右も左もわからない小澤さんを、将来の社長として厳しく指導してくれたのがお姉さんのご主人でした。
「1日も早く仕事を覚えておまえが会社を継ぐんだ」といい、夜中の1時に起こされては資材センターや現場に連れていかれて、いろいろなことを教わりました。
そして、朝6時ごろに帰宅し、寝る間もなく現場作業や営業に当たるという生活が約2年間続きました。
入社してまもない頃には、専務が数百万円を持ち逃げし、17歳の小澤さんが支払先に頭を下げて回ったこともありました。
その5年後には、別の役員が1,700万円もの空手形を切って逃げてしまいした。
この時はさすがに経営が行き詰まり、小澤さんと母親の社長は、社員に告げました。
「今月は給料を払えますが、来月以降は無理です。会社をたたむから、払えるうちに会社を辞めてください」
しかし、誰一人として辞める社員はいませんでした。
それどころか、当時7、8人ほどいた出所者の社員から「給料は要りません。会社が大変なら俺たちが一所懸命頑張ります。働かせてください」という申し出がありました。
取引先にも「もう、うちは潰れます」と頭を下げに行くと、黙って大口の仕事を回してくれました。
小澤さんが所属していた青年会議所の企業も、大学改修の仕事を回してくれました。
社員や取引先の助けがあって、北洋建設は何とか倒産寸前の危機から息を吹き返すことができたのです。
こうした度重なる危機を乗り越え、2014年、40歳の時に小澤さんは社長に就任しました。
受刑者を採用するとなると、札幌までの交通費に始まり、着替えや建設業に必要な道具まで全部揃え、小澤さんが身元引受人となって3食付きの寮をあっせんします。
1人の採用に約40万円かかる計算です。
受刑者が入社した時には、歓迎会を開き、その後も小澤さんがなるべく一緒に食事をする、不平不満を聞いてあげるなどして、とにかく孤立させないことを心がけてきました。
また、受刑者がもう要りませんと言うまで毎日2,000円札を渡します。
お金を持っていれば心に安心と余裕が生まれ再犯が激減するからです。
特に少年院から来た子は、初めて2,000円札を見るので、それが欲しくて仕事を頑張ります。
周りから見ると、すごいことをやっているように思われるかもしれませんが、小澤さんは父親や母親がやってきたことをそのまま当たり前のように続けてきただけです。
そんな小澤さんですが、社長に就任する少し前に、父親と同じ脊髄小脳変性症を発症しました。
遺伝することもある病気ですので、いつかはと思っていたおうですが、今は人の助けがないと歩けないまでに症状が進行しています。
余命もあと数年と宣告されているそうです。
小澤さんは、最後にこう締めくくっています。
他人の花をどう咲かせるかではなく、まずは自分の花を大きく咲かせたい。
自分の花を大きく咲かせることが、受刑者の雇用につながり、結果的に他人の花を咲かせる事になるんだと思っています。
受刑者たちはみんな立ち直りたいと思っています。
そしてきちんと働ける環境さえあれば、みんな必ず立ち直る力を持っているんです。
そのために、自分の命が続く限り、これからも一人でも多くの受刑者を雇用し、社会に貢献していきたいですね。
(参考;『致知』7月号)
受刑者を1人更生させるだけでも大変な社会貢献と言える中で、多くの受刑者を更生させてきた小澤さんは、この世での使命を立派に果たしていると言えるのではないでしょうか。