女性の駆け込み寺「サンガ天城」を設立し、居酒屋「地獄に佛(ほとけ)」の営業も手掛け、様々な問題で悩み苦しむ人々を受け入れ導いてきた戸澤宗充さんが、46歳で出家するに至った経緯です。

戸澤さんは幼少のころに、ある事情で満州にわたりました。

戸澤さんのように満州へ行った日本人は、皆贅沢な暮らしをしていましたが、戸澤さんが小学校2年生の時に終戦を迎えて、それまでと全く逆の生活になりました。

父親はソ連に憲兵と間違われてシベリアに抑留され、残された戸澤さんの家族は牡丹江(ぼたんこう)の収容所に入れられました。

収容所は零下40度という過酷な環境で、周りの日本人は次々と死んでいきました。

妊娠している女性もいましたが、ほとんどが死産で、頼まれて小さな亡骸(なきがら)を公園に埋めに行ったことが何度もありました。

収容所から解放された後、しばらく満州の荒野を放浪して歩きましたが、戸澤さんはその間に周りの女性たちがソ連兵に乱暴されるところを何度も見ました。

戦争が悪いんだと自分に言い聞かせても、中学生くらいの女の子たちが乱暴されて泣き叫ぶ姿がどうしても頭から離れないそうです。

戸澤さんの母親が病気になってしまい、なかなか引き上げ船に乗ることができませんでしたが、昭和21年8月に母親が立ち直り、奇跡的に帰国することができました。

帰国後は、母親の実家に身を寄せて、そこで母親は肩身の狭い思いをしながら戸澤さんたちを育てました。

幸い、5年して父親が帰国し、戸澤さんが中学校1年の時に東京へ移りました。

その後、戸澤さんは結婚して2人の子どもに恵まれ、幸せを手に入れることができました。

しかし、次男が生まれた2日目にご主人が交通事故で亡くなってしまいます。

戸澤さんは、悲しみのあまり、自分も後を追おうと線路のそばをさまよい歩いたり、しばらく荒(すさ)んだ生活を続けました。

けれどもある時、何も知らないで寝ている子供たちの姿を見て、我に返りました。

自分は何と愚かな母親だろうと気がつき、涙が止まらなくなりました。

本当は満州で死んでもおかしくなかったのに生かされ、そしてご主人の死という悲しみの中でも生かされたのは、戸澤さんに何かせよという仏の声だったことに思い至ります。

戸澤さんは、もともと宗教はあまり好きではなかったのですが、ご主人がモルモン教徒だったので、戸澤さんは結婚して以来、一所懸命教会に通い、献金もし、戒律も守り、すべて神様の言うとおりに生きてきたつもりでした。

にもかかわらず、なぜこんな悲しみに遭わなければならないのか。

牧師に質問したところ、ご主人は天国でいまだ神の教えを知らない人たちに伝導するために神が呼んだのだといいました。

戸澤さんは納得がいきませんでした。

妻子を路頭に迷わせてまで夫を天国に呼ぶなんて、間違っていると。

そんな時に出会ったのが、日蓮宗の僧侶でした。

「戸澤さん、仏教の教えを学びなさい。南無妙法蓮華経を唱えなさい」という教えを守り、その時から信者として生きてきました。

信仰が深まれば深まるほど心も落ち着き、砂漠に水が染み込むように教えが染みて、人間として生きていくには、やはりこういう教えにすがったほうが生きやすいと戸澤さんは実感しました。

そして、その教えをただ自分のものにするのではなく、多くの人達に伝えていかなければと思うようになりました。

そんな時に、愛知県尾張の西林寺の僧侶の方から、「日蓮宗には女性の布教師がいない。あなたが女性の布教師になるなら、私が師匠になってもいい」と言われて出家しました。

檀家を持つとか、信者を持つとかいうことではなく、法を伝えるために出家したのです。

46歳の時でした。

(参照:『致知』2月号より)

悟りを開いた人はよくこう言います。

「生きているのではなく、生かされているのだ」と。