山岡鉄舟の生きざまに学ぶ

勝海舟、高橋泥舟(でいしゅう)とともに「幕末の三舟」と並び称される山岡鉄舟について、鉄舟が創建した「全生庵(ぜんしょうあん)」住職の平井正修さんが、『致知』という雑誌の中で次のように語っています。

山岡鉄舟という人は、身長186センチ、体重105キロの偉丈夫であり、殺気立った東征軍の只中(ただなか)に堂々と乗り込んでいく肝の太さから、非常に剛直な印象を受けます。

しかし禅によって練り上げられたその心は実に柔軟で、自由自在。

だからこそ、目まぐるしく変転する時局の中で己の成すべきことを見極め、江戸城無血開城へ動くことができたのだろうと思うのです。

鉄舟は西郷のもとへ向かう時、どうやって敵陣を潜り抜け面会を果たすつもりかと勝から尋ねられ、「それは我が胸中にあります」と答えました。

前もってこうしよう、ああしようと決めてかかれば心が自由を失い、不測の事態に即応できなくなることを言っているのだと私は思います。

禅というと堅い印象を持たれがちです。

しかし禅では、「水は方円の器に従う」ということが繰り返し説かれます。

水は四角い器に入れば四角く、丸い器に入れば丸くなる、そうした自在さが心にも大切だというのです。

人はともすれば、好き嫌い、損得、そうした周りの環境によって心が固まり、身動きが取れなくなりがちです。

しかし、本当は自分という固定したものなどないことに気づき、自分というこだわりを捨ててこそ一番の力が発揮できるのです。

とはいえ、死の危険の伴うぎりぎりの状況下で心の自由を保ち、目的を遂げることは至難の業です。

山岡鉄舟に惹かれる人が多いのは、そうした常人にはとてもできないような難事を見事にやってのける人間力、あのように生きてみたいと思わせるような痛快な生きざまに魅了されるからでしょう。

鉄舟にそれができたのは、平素からのたゆまぬ鍛錬によって自己を磨きあげていたからに他なりません。

鉄舟という人は決して要領のいい人でも、頭脳明晰な人でもありませんでした。

当時は子供の頃から『論語』をはじめとする四書五経を素読するのが習いでしたが、他の子のようにはなかなか覚えられなかったといいます。

そこで彼は、本を丸々書き写し、これを読んで覚える努力をしました。

こういうところに、鉄舟という人物の非凡さが垣間見えるのです。

鉄舟は武士であり、その生涯を貫く一本の柱となったのは剣でした。

北辰一刀流の門をくぐった鉄舟は、竹刀の音が聞こえればどこへでも飛び込んで試合を申し込むほどの入れ込みようで、”鬼鉄”の異名を取るほど凄まじい修行を経て、ついには無敵の極所に達し無刀流を開きました。

無敵というと、世界で一番強い人をイメージしがちですが、鉄舟が至ったのは、自分の中に敵がいないという境地でした。

人は強い敵に怯え、弱い敵は侮りますが、それは自分の心がつくり上げる影に振り回されているにすぎません。

そういう心を無くしていくことで、敵はいなくなり、ついには剣を抜かずにことを収める究極の境地に至ったのです。

西郷の「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は始末に困るもの也」という有名な言葉は、実は鉄舟のことを指しているそうですが、それは鉄舟が自分を捨て、無敵の境地に立って行動したからに他なりません。

(引用:『致知』2017年3月号より抜粋)