大和証券元社長 鈴木茂晴さんの20代の頃の会社人生
元大和証券社長で、現在は日本証券業協会会長の鈴木茂晴さんは、大学4年生の時に就職活動をするに当たり、銀行に勤めていた従兄に今後どういう業種が伸びていくのかを尋ね、証券業とリース業は大きく伸びる可能性があると聞いたことがきっかけで、大和証券に入社しました。
大和証券に入社した後、最初の配属先は本店営業部でした。
本店は、強者(つわもの)の営業マンばかりが集まり、しのぎを削(けず)るところです。
証券取引業務を行うために必要な資格を3か月で取得し、それ以後は来る日も来る日も朝から飛び込み営業に出かけ、新規顧客を開拓しました。
今と違って個人情報保護法がない時代ですから、株主や医者などの名簿がたくさんあり、「これで回ってこい」とよく言われました。
当時はインターネットもありませんでしたので、会社から支給される資料に加え、ありとあらゆる新聞や雑誌を取り寄せて読み込み、そこで得た情報をもとに立てた株価の予測などを顧客に話すように心がけていました。
朝は7時半前に出社し、夜は9時、10時まで働きました。
ノルマも課され、厳しい仕事だったため、辞める社員も多かったですが、その一方で、花見や運動会、社員旅行といった行事もあり、アットホームでなおかつ皆が努力し高め合う雰囲気がありました。
当時の証券業界はニクソン・ショックやオイル・ショックに見舞われながらも右肩上がりに伸び続け、初任給が約4万円のところ、翌年には7千~8千円もベースアップするという時代でした。
鈴木茂晴さんが本店営業を3年間経験した後、次に与えられたステージは埼玉県の大宮支店でした。
いまでこそ大宮は栄えていますが、当時はまだ田舎でした。
仕事を終えて夜お酒を飲んでいると、操車場から汽笛(きてき)が聞こえ、それが非常にもの悲しく、こんな遠くの町へ来てしまったのかと思ったそうです。
それでも「住めば都(みやこ)」という諺(ことわざ)のごとく、日を追う毎に居心地がよくなっていきました。
仕事でも順調に顧客を増やし、3年経った頃には全国的に見ても高い成績を上げられるようになりました。
ここを終(つい)の棲家(すみか)にしたいと思っていたところ、ある日突然、一通のファックスが届きました。
それは新規店の開設準備員として、神奈川県の鎌倉へ転勤する辞令でした。
新規店ということは当然顧客をゼロからつくらなければなりません。
その上、鎌倉支店は投資信託のみで株式は取り扱わない支店でした。
それまで株式しかやってこなかった鈴木さんに、まさか白羽の矢が立つとは思ってもみませんでした。
成績が悪いならまだしも、トップクラスの自分がなぜそんなところへ行かなければならないのかと、当初は不満を持っていたそうです。
鎌倉支店で、新入社員時代のように担当地域を指定されて、あてがわれた高額所得者名簿を頼りに一軒ずつ訪問していく日々が始まりました。
夏の暑い日のことです。
山の上に大きな豪邸が立っていて、見ると階段が100段くらいあります。
こんな炎天下の中、100段の階段を上っていくのは嫌だな、やめておこうと一瞬尻込みしましたが、これでもし他の誰かに取られてしまっては癪(しゃく)に障(さわ)ると思うと、階段を駆け上がっていました。
在宅の可能性の低い平日は残業しない代わりに、土日は休むことなく飛び込み営業に奔走(ほんそう)しました。
最初はインターホン越しにけんもほろろに断られることも少なくありませんでしたが、チラシを投函したり、時に食い下がって話をしたりする中で、成約に繋げられるようになったのです。
そのうちに心を覆(おお)っていた不満は消え去り、何処へ行ってもゼロから顧客を開拓できる自信、強みが生まれたそうです。
10年以上営業の仕事に携わった後、次は突如として会長の秘書を務めることになりました。
当初は、秘書なんて自分には全く向いていない、細かいことはできないと思っていたのですが、それでも一所懸命やっていると仕事が面白くなり、2年くらい経った時にこれは自分の天職だと思えるようになったそうです。
鈴木茂晴さんは、自分の20代を振り返り次のように述べています。
辛(つら)くて仕事を辞めようと思ったことは何度もあります。
どんなに素晴らしい会社に勤めていても、隣の芝生が青く見えたり、もっといい会社が他にあるのではないかと思ったりすることは誰にでもあるでしょう。
しかし、その時が一番の危機であることを知っておかなければなりません。
大抵の場合、飛び出してみたらもともと居たところがやっぱり良かったと気づくものです。
これまで、大和証券を辞めた人たちをたくさん見てきましたが、その中で成功した人は片手で数えるほどしかいません。
ゆえに多少苦しかったり不平不満があったとしても、その場を離れないということが重要です。
新卒社員の3割が3年以内に離職すると言われて久しいですが、大学を出たばかりの人間がいきなり通用するほど、ビジネスの世界は甘くありません。
私自身が辞めずに続けてこられたのは、一所懸命打ち込むことで自らの仕事を天職に昇華(しょうか)し、ここが最高の職場と思い定めたからに他なりません。
納得のいかない異動や転勤を命じられることも、時にはあるでしょう。
しかし、愚痴ばかり吐き、やけくそになっては手の施(ほどこ)しようがありません。
逆にそこで成績を出し、期待に応えれば自らの仕事力が高まり、マルチプレイヤーに育つばかりか、どんどん登用され引き上げられていきます。
社長や上司はその人の能力を見定めるために意図して人事を決めているのであり、いま自分は試されているのだと思うべきです。
意に沿わない時こそ一所懸命やる。
いま与えられた部署、役割の中で最大限の努力をすることが重要なのではないでしょうか。
(参考;『致知』6月号)
最後に鈴木茂晴さんが述べられていることは、まさにサラリーマンとして会社人生をより善く生きていくための秘訣だと思います。