後に500年間不世出と言われた名僧白隠禅師は、11歳の時にお寺に連れて行かれて初めて地獄の説教を聞かされました。

悪いことをすると、みんな地獄に落ちる。

地獄には八寒地獄、八熱地獄があり、それぞれ恐ろしいところである。

こういう話を聞いた後、白隠禅師は地獄が恐ろしくて恐ろしくてなりませんでした。

殺生してはいけないというのに、私は川で魚釣りをした。

蛇も殺した。

カエルを取ってきて遊んだりもした。

私は地獄に行くに違いない。

そう思えば恐ろしさがつのります。

その恐ろしい地獄の苦しみから逃れるにはどうしたらいいのだろうと、そればかり考えるようになりました。

あるとき、11歳の白隠禅師は、お母さんと一緒にお風呂に入りました。

お湯が少しぬるいので下女が薪をくべると、勢いよく炎があがり、風呂釜がジージーとなりました。

すると、白隠禅師はお母さんの身体にしがみついて、声を上げて泣き出してしまいました。

お母さんが驚いて

「どうしたの。どこか痛いの。何か悲しいの」

とやさしく尋ねてなぐさめても、いっこうに泣き止みません。

家族が骨を折ってなだめた末、ようやく泣き止んだ白隠禅師は、こう言いました。

「地獄がこわい。風呂釜の鳴る音と炎を見たら地獄を思い出して恐ろしくなった。

地獄に落ちないためにはどうしたらよいか教えてほしい」

これにはお母さんも答えようがなく、

「明日教えてあげる」

といって、ともかく寝かせました。

翌日、そんなことがあったのも忘れて、白隠禅師は外で遊んでいました。

ところが、また地獄のことを思い出して家へ戻りました。

そして、お母さんに髪を梳(す)いてくれと頼みます。

お母さんが自分から言うとは珍しいことだと笑いながら髪を梳いてやろうとすると、白隠禅師はお母さんに

「約束だから教えて。地獄へ堕ちないためにどうしたらいいか、明日教えてやるといったじゃないか」

と問い詰めました。

お母さんは返答に困って、こう言いました。

「おまえは丑(うし)の年の丑の月の丑の刻に生まれたから、牛に縁のある子だ。

牛は天神様のおつかいだから、天神様を毎日拝んでいたら地獄に堕ちることはない」

お母さんの教え通り、あるお寺に祭られている天神さまを、白隠禅師は毎日拝むことにしました。

こうして来る日も来る日もそのお寺にお参りに行っているうちに、小僧さんとも馴染みになり、まず「般若心経」を教えてもらいました。

それを覚えてしまうと、次は「観音経」というように、ここでお経はみんな覚えてしまいました。

そして、14歳の時には「禅林句集」という難しい禅宗のことばを集めた2冊の本まで読破し、暗記してしまいました。

ある日のこと、白隠禅師は21日間の願をかけて天神様を拝まれました。

満願の日、これだけ一所懸命信心したのだから、もう地獄へは堕ちないだろうと思って、天神様のご利益を試してみました。

それは、「南無天満大自在天満、南無天満大自在天満」と唱えながら、火で真っ赤に焼いた火鉢を腿(もも)に当ててみるということでした。

ご利益があるなら熱くとも何ともないはずだと試されました。

ところが、火鉢を当てた瞬間、飛び上がるほど熱く、火傷をしてしまいました。

そこで、「天神様のご利益も得られない。これでは、私はやっぱり地獄に堕ちる」

と考えられて、ついに出家しようと決心しました。

その覚悟の強さに両親が折れて、白隠禅師が初めて頭を剃られたお寺が原の松陰寺です。

15歳の時でした。

その後、今日でいえば中学校に当たる清水の禅業寺というところで仏教の学問を修めたのです。

ところが、そこで禅宗の歴史を勉強していたときのことです。

むかし、中国に厳頭(がんとう)という和尚がいて、賊のために首を切られて、あっけなく亡くなったという記録が残っていました。

それを読んだ白隠禅師は、また考え込んでしまいました。

「修行のできた大和尚が、泥棒に首を切られてしまうようでは、いけないのではいないか。

出家しても救いはない。

もう座禅もしない」

こう考えて、それからは詩や小説など、文学の本ばかり読むようになりました。

ところが、あるとき「禅関策振(ぜんかんさくしん)」という本を読み、白隠禅師ははっきり自分の間違いに気づかされました。

その本には、こういうことが書かれていました。

慈明(じみょう)という人が5、6人の友達と一緒に汾陽和尚のもとで修行していたときのことです。

夜になると、友達はみんな寝てしまいます。

しかし慈明だけは錐(きり)を腿に突き立てて、寝ずに座禅をしたということです。

居眠りしかかると、錐が腿を刺し、その痛さで目を覚ますようにしてまで座禅を続けました。

「生きて時に益なく、死して人に知られずんば理において何の益かあらん」

つまり、人間に生まれて社会のために何の貢献もせず、死んで後に人に知らることのない人生、動物のように生きて、動物のように死んでしまう、それだけの人生なら生きる価値はない。

こういって、慈明は毎晩、錐の痛みに耐えながら座禅をしたということです。

「慈明引水(じみょういんすい)」という有名な話だそうです。

「禅関策進」によって、この慈明和尚の話を知った白隠禅師は、

「われ誤てり、われ誤てり」と言いました。

私は間違っていた。

文学に走ったのは間違いだった。

慈明和尚のように、命がけで仏法を求め、命がけで真理を求め、命がけで座禅をしなければ、求める真理はわからない。

私こそ間違っていた、と深く反省し、心を入れ替えて修行に励まれました。

自分の肉体を刻むようにして苦しめ、精神を責めさいなむようにして鍛え、まさに命がけで修行したということです。

そして、白隠禅師はついに悟りを開かれ、後に500年間不世出といわれる名僧になったのです。

(引用:「自己を見つめる-ほんとうの自分とは何か-」山田無文)