松岡さんは、小学校2年の時にお姉さんがテニスをしているのを見て、面白そうだなと思いテニスを始めました。

1歳上のお兄さんと一緒に始めましたが、お兄さんはものすごく才能があり、体格にも恵まれていたこともあり、コーチがつきっきりで指導していました。

一方で、松岡さんは才能がなく、その頃は太っていて身長も低く、試合に勝っても、「君はガッツがあっていいね」と言われておしまいでした。

松岡さんはそれが悔しくてしょうがありませんでした。

慶應義塾幼稚舎から中等部に進学するとますますテニスにのめり込み、学校が終わると名門テニスクラブの桜田倶楽部で練習に励み、家に帰るのは夜11時くらいでした。

そして、2年生の時に全国大会で優勝しました。

その後、テニスから遠ざかる時期もありましたが、やはりテニスがしたい、もっと強くなりたいと思い、ぬるま湯に浸りきっていた自分を鍛え直すために、高校2年の時に、テニスの強豪として知られる福岡県の柳川高校に転校し、きびしい監督のもと、練習に明け暮れました。

部員は全員丸坊主で、軍隊さながらの厳しい規律、厳しい上下関係があり、ミスをすればラケットで頭をゴツンと叩かれます。

いまではあり得ないような超スパルタ指導でしたが、松岡さんは自ら進んで行ったわけですから、毎日の猛特訓が楽しくて仕方ありませんでした。

ウィンブルドンへの道と言われる国内のジュニア大会に2年連続で優勝し、3年生の時、2か月間ヨーロッパに遠征して、ウィンブルドンジュニアの3回戦まで進出することができました。

松岡さんがプロになるきっかけを作ってくれたのは、ボブ・ブレッドという世界一の選手を3人も育てた名コーチです。

松岡さんが柳川から東京に戻っていた時に、ちょうどボブ・ブレッド氏が来日し、15分間だけ練習を見てくれました。

そこで、「アメリカに来てみないか。日本にいても強くなれない」と誘ってくれたことが、松岡さんの人生を世界へと向かわせました。

それまで、松岡さんはプロになろうとは思いもしませんでした。

自分に才能があると思ったことは一度もありませんでしたし、松岡さんのお父さんは大学時代に日本一になり、日本代表としてデビス・カップに出場した選手でしたが、お父さんからは「おまえは才能がない、テニスはやめろ」と言われてばかりだったのです。

松岡さんがプロになって3年目、21歳の時ことです。

初めて世界ランキングトップ100の壁を破ってこれからだと意気込んでいた矢先に、両ひざに痛みを感じるようになりました。

翌年の春に手術を受けて、リハビリをしながら夏に復帰したものの、ことごとく初戦で負けてしまいます。

世界ランキングは445位まで下がり、焦りは募る一方で、何もかもが絶望的に思えてきました。

それでも、リハビリに耐え、翌年1月の全豪オープン予選での勝利を機に復調し、ランキングも100番台まで戻すことができました。

しかし、その年の秋、勝てば100位以内に入るという大事な試合で、じん帯を断裂する大けがをしてしまいます。

翌年に復帰を果たすと、今度はすぐにランキング100位以内に帰り咲き、とてもいい状態でプレーできていました。

ところが、その翌年、死に至ることもあるウイルス性の病気に侵(おか)され、3か月の療養を余儀(よぎ)なくされてしまいます。

高熱が続き体がだるく、トイレに行くだけでフラフラになるという状態でした。

復帰後、しばらくは苦しい戦いが続きましたが、3年後の1995年、27歳の時に日本人として62年ぶりとなるウィンブルドンベスト8に進出し、その翌年には長年の夢だったウィンブルドンセンターコートでの試合を実現させることができました。

松岡さんはこのような度重なる試練を乗り越えるために様々なメンタルトレーニングを取り入れました。

1番よかったのは、中村天風の「絶対積極」の思想です。

ちょうど、ウィンブルドンベスト8に入った年に中村天風の本を読み、講話テープを聞き始めました。

中村天風が1日の始まりに唱える言葉があり、それを自分なりにアレンジして、1日2回声に出して言うようにしました。

「独立決断 自分はけがは絶対しません 怒らず、恐れず、悲しまず 正直、親切、愉快に 力と勇気と信念を持って 自己に対する責務を果たし 愛と平和とを失わざる今日1日 厳かに生きていくことを誓います」

これを朝起きた時と夜寝る時、鏡の前で毎日言い続け、試合に復帰した姿や優勝した姿をリアルにイメージしていったことで、自分の本当の力を出せるようになりました。

(参考;『致知』7月号)

東洋の哲人と言われた中村天風師には、私も大変お世話になりました。

私が一時苦境に陥った時に、中村天風の本を読み学んだことが、苦境からの脱出のきっかけとなり、その後天風会に所属し、心身統一法を学びました。

松岡修造さんが述べている1日の始まりの唱える言葉は、「誓いの言葉(我らの誓い)」と言います。

「今日一日 怒らず、怖れず、悲しまず 正直、親切、愉快に 力と勇気と信念とを持って 自己の人生に対する責務を果たし 常に平和と愛とを失わざる 立派な人間として生きることを 厳かに誓います」