不世出の武道家と言われた合気道開祖 植芝盛平
「不世出の武道家」と言われた合気道開祖 植芝盛平(もりへい)は、草相撲をやっていた通産次官が合気道本部道場に見学に来た際に、「あなたの手を机の上においてごらんなさい。爺(じじい)が人差し指で押さえるから動かしてごらんなさい」と言います。
通産次官はどんなに頑張っても動かすことができませんでした。
植芝盛平が84歳の時のことです。
内弟子の合気道祥平塾道場長の菅沼守人さんは、植芝盛平のことを次のように語っています。
植芝盛平は身長156センチと大変小柄でしたが、86歳でなくなるまで無敵ともいえる強さを持っていました。
それは力強さとは違います。
若い頃は隆々たる体格で技も稽古も相当厳しかったと聞いていますが、その頃は技を掛けられると柔らかく吸い込まれるような感覚でした。
触れた途端、気がつくと倒されていました。
植芝盛平には、「鉄砲の弾より一瞬先に飛びこんでくる光を避けることで、弾が当たることがなかった」という有名な逸話があります。
常人には信じがたいことですが、中国で幾度も死線を超える中での体験だといいます。
植芝盛平は、「万有愛護」という言葉を好んでいました。
真の武道とは勝ち負けを競うのではなく、人も大自然も守り育てるものだという悟りを得られたのかもしれません。
亡くなるまで、神や天地万物へのお祈りを欠かすことがありませんでした。
「試合は死に合いに通ず」という言葉を何度か聞いたことがありますが、合気道の特徴は勝ち負けに拘らず、それぞれの体力、年齢、健康状態に応じて稽古ができることや自然の理をとても大事にしています。
よく「合気道は実践の武道である」と話されていました。
相手を無理に倒したりケガをさせるのではなく、心身を鍛錬して真の人間をつくるのが合気道の目的だと。
「合気とは、いうなれば真人養成の道であるともいえる。
それで気育、知育、徳育、体育、それに常識の涵養となってくる」
「合気道は魂の気の洗濯が一番、その次には己の心の立て直しが肝要である」
まず自分自身を直していくのが武道の本義だということです。
そういう人が1人、2人、3人と増えていけば世の中は自然とよくなっていく。
「合気とは、天地の心をもってわが心とし、万有愛護の大精神をもって自己の使命を完遂することである」
とおっしゃっています。
植芝盛平は武道家として生涯鍛錬に次ぐ鍛錬を重ねましたが、最晩年もなお「爺はこれからが修行じゃよ」と、亡くなる数か月前まで道場に出て稽古を続けました。
(参照:『致知』2017年7月号より)
「合気とは、天地の心をもってわが心とし、万有愛護の大精神をもって自己の使命を完遂することである」
いい言葉ですね。
合気ではなく「人間」と置き換えてもいいと思います。
合気道は、天地の心をもってわが心とし、すべてのものを愛の精神でもって護っていく真の人間を創っていくことを目的としているのですね。