一念岩をも通す(シートン)
「シートン動物記」の作者として有名なアーネスト・トムソン・シートンの若いころの体験です。
シートンは18歳の時に、ロンドンに絵を習いに行っていました。
そこで、大英博物館の図書館には世界中のあらゆる博物学の本が集まっているという話を聞きこみました。
小さなころから動物好きだったシートンは、早速大英博物館の図書館へ行きました。
しかし、未成年者は入館できないという規則があるため、断られてしまいます。
諦め切れないシートンは、司書官に会って特別入館許可を求めましたが、規則を盾に許してもらえません。
それでも諦められず、シートンはこれ以上訴えて出る裁判所のようなところはないか尋ねます。
司書官は館長の許可があれば入館できることを伝え、館長の部屋を教えてくれました。
そこで、シートンは館長に面会して嘆願しましたが、やはり許可は得られません。
シートンがこれ以上お願いしてみる最高裁判所のようなところはないか尋ねると、館長は評議員の許可があれば入館できることを伝えて、プリンス・オブウェールズ殿下と、カンタベリー大僧正と、総理大臣のビーコンスフィールド卿の3名の評議員の名前を教えてくれました。
この3人は、イギリスの最高位の人たちで、そう簡単に近づけるものではありません。
シートンは家に帰ると、この3人の評議員に対して丁寧な言葉で、率直に自分の博物学研究の志望と図書館入館許可の希望を書いた手紙を送りました。
「どうせ許可は与えられはしないだろうけど、それでもいい。自分はできるだけの手を尽くしたんだ。」
そう思っていたところ、意外にもシートンの型破りな熱心さが認められて、2週間後に入館許可が下りました。
それだけではなく、書庫出入りの自由を許した終身閲覧券が添えられてありました。
更には、「一生懸命勉学に励むように」との3人の手紙もあったのです。
シートンは大喜びで大英博物館に通い、そこの博物学の本を片っ端から読破しました。
そして、その後アメリカに戻り、50年もアメリカの動物を研究して、「シートン動物記」を書いたのです。
(参照:あの斎藤一人さんが「7回読みな」と勧めた「人生を創る言葉」)
この話を読んで、「一念(いちねん)岩をも通す」という言葉が思い浮かびました。
前漢の将軍であった李広が、石を虎と見誤って必死に矢を放ったところ、矢が見事に石に突き刺さったという故事に基づくことわざです。
人が必死に願い、行動した時には、その願いは必ず叶うということです。
道元も次のように言葉を残しています。